神様に嘘をついていた話です。

私は、自分がクリスチャンだということを大胆に宣言することができませんでした。

私は、日本という社会、歴史、国家、日本人を恐れていました。そして自分を守るため妥協し逃げ続けていたのです。

私は家族、友達、職場、今までの人々との関係が崩れることを恐れました。イエス様を信じるけど、今までの人間関係が壊れることを最も恐れていたのです。

 

私がイエス・キリストを信じたのは大学3年生のときです。日曜日に教会に行く時、スーツを着て主日に行っていました。そのとき、千葉県から高田馬場まで通っていて、さらに朝の聖歌隊の練習があったので、朝の6時に家を出ていました。考えてみてください。朝の6時にスーツ着て、毎週日曜、大学生がどこに行くのでしょうか?当然、親は不審に思います。私は、そこで教会に行っているとは言えず、思わず、大学のゼミに行っていると答えてしまいました。私の親は宗教が大嫌いな人だったからです。朝6時に家を出なければならない、1限よりも早いゼミなど存在するでしょうか?特別ゼミということで親に嘘を言い、教会に通っていました。

 

 また、ある時、教会の路傍賛美に行くときがありました。私はその時クリスチャンになったばかりで、賛美することがただ嬉しかったのです。場所はなんと新宿駅近くの紀伊国屋書店の前で、日本で一番人通りの多い場所でした。日曜日は歩行者天国というものがあって、道に車が入らなくなります。(日本では天国もこのような扱いを受けているのです)楽器を運んで賛美の準備をしました。ところが、私のぶんのマイクがありませんでした。私はマイクなしで賛美を捧げました。あの時は不思議で、マイクがないとか、大勢の前で恥ずかしいとか、人が気になるとかはなかったのです。ただ神様に賛美できることが嬉しかったのです。

賛美を終えて、片付けをして、最後、みんなで集まって簡単に祈ったときでした。私は、急に涙が止まらなくなりました。息をすることができないくらい激しく泣いたのです。私は何がなんだかわかりませんでした。新宿のど真ん中で声をあげ、肩を震わせて、大勢の人がいる中で、大の大人がおいおいと泣いているのです。私は常識ではおかしいと考え、泣くのをやめたかったのですが、体がとまりませんでした。アガペチャーチに来て、同じように泣きながら倒れる人を見て、ああ、あれは聖霊だったことがわかりました。

その時、主が見せてくれたものがありました。それは大勢の人が虚ろな目をして、さまよっている姿でした。日曜日、家族や恋人と買い物や、映画館、食事のためにみんな嬉しそうに歩いているはずなのに、主は、私に虚しく歩いている人の姿を見せました。上手く説明できないのですが、嬉しい顔なのに、寂しく泣いているのです。それも何百、何千という人々が目的もなく歩いているのです。囚人が歩いているみたいでした。津波の映像を覚えていますか?津波が襲ってきた時ではなく、全てを破壊した後、ゆっくり海へと帰っていく時の津波の映像にそっくりでした。彼らはどこへ行くのでしょうか?その流れはゆっくりでしたが、その流れを止めることは不可能で、大きな力で引っ張られていくようでした。

イエス様がその姿を悲しく思って、私の体を利用して泣いているみたいでした。

ここまでは恵みの話なのですが、話はここで終わりません。

 

私はその夜、聖霊に満たされて、神様を慕って家に帰りました。

次の日、ミュージカルの練習のあと、友達に言われました。

「あのさ、昨日、崇さ、新宿で歌ってなかった?」

私はとっさに青くなりました。

「新宿で、なんか変な宗教っぽい人たちに混じって歌ってなかった?」

私は思わず、「知らない。新宿なんか行ってない」と笑ってごまかしました。

私は、あんなに恵みを受けた、次の日に主を否定してしまったのです。

 

気が晴れないまま次の日、バイトに行きました。すると仲のいい友達から「昨日、新宿にいなかった?」とまた聞かれました。私は背筋が凍り付きました。「新宿で崇に良く似た人が歌ってたんだけど。」

私は思わず「新宿なんかに行ってない。ずっと家にいた」と嘘をつきました。

私は体が固まってしまい、その場を笑ってごまかし、逃げました。

 

私は、あの時、主を否定したことは良くないことだと感じていましたが、仕方がないことだと思っていました。人々に、宗教を信じている変な人と思われることが恥ずかしかったのです。

 

しばらくして、聖書の中でペテロがイエス様を3度否定した箇所がありました。その御言葉は、わたしにとって、鶏の泣き声でした。

ペテロが、鶏が鳴くのを聞いて、イエス様の言葉を思い出したように、私はその御言葉を聞いて、イエス様のことを思い出しました。私のような何もない者のために、自分の命をも捨てたイエス様の犠牲を、十字架の愛を、私は否定したのです。それまで賛美してきたこと、信仰生活を続けてきたこと、祈ってきたこと、すべてを自らによって否定していたことに気づいたのです。

私は泣きながら悔い改めました。

 

あれからだいぶ経ちましたが、バイトの友人に電話をしました。「ずいぶん前だけど、新宿で歌っていたのは、あれは僕だよ。」と伝えました。友人はそのことを忘れていました。

わたしは、あのとき、新宿で僕の賛美を見たすべての人に言いたいのです。数にして数千人はいたでしょう。名前も顔も覚えていませんが、確かにこの日本にいるはずです。いつ私と出会うかわかりません。だから、職場でも、友達にも、家族にも、誰にでも私は次のことを言いたいのです。

 

私は、クリスチャンです。

私は日本人クリスチャン仲村崇です。

私は、主に愛されているクリスチャンです。

私は、イエス・キリストを最後まで裏切らない、クリスチャンです。

私は、弱いけど、私には主がいつもともにいる、主の勇士です。

 

私はたくさん主を裏切ってきました。3年間、家族には教会を特別ゼミだと言っていました。3年間に日曜日は約156回あります。ペテロは3回否定しましたが、私は156回も否定し続けてきたのです。

 

それから、主の懲らしめがありました。

それは、私が最も行きたくなかった場所へ主が通わせたことでした。

それは、私が就職した職場が、紀伊国屋書店にある劇場だったのです。そうです。あの賛美を捧げ、主を裏切った場所です。

主は、あの日、私が裏切った地を再び踏ませたのです。

職場に行くたびに、あの日、賛美して涙をながしたこと。そしてすぐその神様を否定した自分を見て、苦しみました。

 

今、家族にも、職場にも、友達にも、私がクリスチャンであることを伝えてあります。恐れることはありません。主がともにいますから。人々に宣言することによって、主の奇跡を体験することができました。

 

終わりの時代が近づいているなら、私たちはどちらかを選択しなければなりません。クリスチャンか、そうでないか。その中間はないのです。半分クリスチャン、半分世の人というものは存在しません。半分だけ従順するということもあり得ません。

0か100か、熱いか冷たいか、どちらかしかないのです。生きるか、死ぬかです。イエス様をこの時は愛して、あの時は世を優先してイエス様は無視しようということはできないのです。これは愛してないのと同じか、またはもっとひどい事です。

終わりの時代になっても、迫害や誘惑のなかにあっても、「私は主イエス・キリストを愛するクリスチャンです!」とはっきり言える私たちになりましょう!

 

主のプライドをもって、勇敢に世の中へ出て行く、私とみなさんになることを主イエス・キリストの御名によって祝福します。