みの時間

いつも私たちと共におられる主の御名を称えます。

この証が神様の栄光となる証となることを願います。

 

誰でも傷というのはあると思います。

ここで、「私は傷とか一度も受けたことがありません」

という人手を挙げて見て下さい。.

そうですよね。人々が互いに会い、かかわりを持つので、

傷がないというのはむしろおかしいかも知れません。

 

しかし、世の人々にとって傷というのは受け止めなくてはならないことだと思いますがイエス様を信じるクリスチャンにとっては、傷は、隙間となってしまいます。

 

神様と私の間に壁を作り神様にこれ以上近づけさせない隙間。

ですから、傷が完全に解決されなければ、毎回同じ事で座り込み挫折してしまうのです。

私もこの過程が何度もくり返してしまうのでこのような考えが思い浮かんできました。

 

傷は完全に癒されるものではないんだな

 「私は一生この傷と向かい合って生きていかなくてならないんだな。」

いつの間にか、この過程が当たり前のように毎回感じていました。

 

 

しかし、ある日何度もくり返す自分の罪について深く考えてみました。

私はもうこれ以上、この罪を犯したくないのに、何が私をこのように仕向けているんだろう。

私が望んでない事をしている私の姿を見ながら、その原因について考えてみました。

そして色々理由かびましたが、

その思い浮かんでこたことがまさに傷だったのです。

 

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この傷というのは、間違った考え、良くない思いを作ってしまうのです。

そして良くない考えは、悪い習慣を

また、この悪い習慣が今の自分を作っているという事がわかってきました。

 

一番、奥深くにある傷が刺激を受けると

結局はこの悪い習慣たちが、私がくり返す罪をくり返させるということを悟りました。

 

 

そして私を挫折させ、罪責感を与え、神様と私の距離を作ってしまうということです。

だからもっと、成長してかなければいけないのに、

毎回同じ場所でその壁を飛び越えることの出来ない自分の姿を見ました。

 

でも、とても悔しくてむしゃくしゃしてきたんですね。

  

どこから、どうやってこの傷によって、成長出来ずにいる部分を満たしたらよいのか、

そして、「当然家庭から学ばなければならない部分があったのに学び損ねた」

事を思うと、とても心が痛みました。

 

 

ですが、このような考えが入ってきました。

神様に許されていた道ならば、そこにはわけがあるはずだ。

だから、神様に切に聞いてみました。

 

神様、どうして私をその道に導いたのですが教えてください。

神様がされることには、必ずすべて理由があるじゃないですか。

そして、なぜ、私がこの痛い道を歩かなければならなかったこと、どうか教えてください。

そしてある日、その理由を急に知ることになりました。

 

皆さん、この賛美知っていますか?

 

賛美歌405

1.われを救いし くしき恵み

まよいし身もいま 立ち返りぬ

 

2.おそれを信仰に 変えたまいし

わが主の恵み げにとうとし

 

※アメイジング・グレイス日本語

 

 

この賛美は、私の心の奥深く底から出てくるイエス様への告白だったのです。

 

神様は私が神様を知らなかったその時も、

私は神様の計画の中にいたんだという事を

悟らせてくださいました。

 

 

そして、私をずっと訓練させてくださっていたことを知ることができました。

今の私の姿、私を作るために。

 

私はその時の時間を通して、神様の愛とその恵みの深さを知ることができました。

いばらのような私を抱きしめてくださった神様の愛と恵み。

 

そして、私に新しくくださったこの命が、どれほど価値のあるものか教えてくださいました

神様は、その時間があったから、今の私がいるという事を教えてくださいました。

 

 

そしてまた、その時間がこれ以上私の痛みではなく、恵みの時間だったことを知りました。

 

もっと主の愛を知り、感じることが出来る恵みの時間

私は私にこのような恵みの時間をくださる神様に感謝を捧げます。

 

傷と恵みは、紙一枚の差です。

そこにイエス様がいらっしゃるのか、いらしゃっらないのか。

 

たとえ、私がイエス様を感じることが出来ず、知ることが出来なかったとしても、

いかなる傷と痛みの時間だったとしても、神様をもっと知っていく恵みの時間となるとを信じます。

 

私はこの恵みの時間をもっと沢山作って行きたいと思います。

私は私のすべての生活の中で、痛みや試練の中でも

 

イエス様と共に歩み、私のすべての時間を、

イエス様を知っていく恵みの時間として満たすことをイエス様の御名によって宣言します。

 

そして私たちがどんな痛みや試練の中にいるとしても

イエス様を最後まで捉えて見上げる信仰で

 その時間を通してもっとイエス様を知って、

深い恵み時間を作って私と皆さんになることをイエス様の御名によって祝福します。

 

訳 馬淵 愛