ハレルヤ!神に喜ばれる証になることを願います。

何ヵ月前に牧師先生から、ある執事さんの家で祈りを導きなさいと言われました。

私は何にも知らないまま、ただ順する心でアメンと答えました。

メンと返事はしたけれど、むしろ人に導いてもらうべきの私が

人を導くということは、決して簡なことではありませんでした。

週行くことになったので、週祈って、神の心とみ言葉を受けるということは、

に神のみ言葉と心に集中しなければならないことでした。

週、震えて恐ろしい心はあったけれど、時間がつに連れ、感謝する心も大きくなって行きました。

が下さったみ言葉と心が執事さんの家庭だけではなく、私にも語られたみ言葉だったからでした。

そして私には、神のみをとらえる訓練であることを悟りました。

その中に私に下さったみ言葉を証したいと思います。

 

イエスは二匹の魚と五つのパンを持って五千人を食べさせた奇跡を起こしてから、

その後に、弟子達に船にって先立って向い側に行くようにし、イエスは祈りに山に登って行きます。

ところで船にって渡っている間、風が激しくなり、船がれ始めました。

恐れに震えている弟子達の前にイエスは海の上をいてきます。

弟子達は怖くなり叫びをあげました。

すると、イエスは『しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。』言われました。

その時にペテロは「主よ。もし、あなたでしたら、私にも、水の上をかせて下さい」言います。

そしてペテロは、水の上をいてイエスのところに行きます。

だが、それも間もなく、風を見て怖くなり沈みかけます。

イエスはその姿を見てペテロにこのように言われます。

「信仰の薄い人だ。なぜ疑うのか。

「信仰の薄い人だ。なぜ疑うのか。」このみ言葉が胸に刺さるような思いでした。

まるで、私に語るみ言葉のようで、とても心が痛かったのです。

ペテロは確かにイエスの奇跡を体しました。

それもイエスの目の前だったのです。

主の前で主がなさる奇跡を体したのにかかわらず、彼は疑っていました。 れていたのです

 

これがまさに自分の姿であることをイエスは悟らせて下さいました。

そして私の姿を振り返ってみました。

 

ペテロはイエスを三回も否定した者です。

イエスはペテロにおっしゃいました。

「きょう、が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と。

すると、ペテロがこう答えます。

「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と言いますね。

しかし、イエスのみ言葉のように彼はが泣く前にイエスを三度否定してしまいます。

この姿も、また私の姿であることが分かりました。

 

私はよくこのように話します。

がおっしゃるならば、私は忍耐して待ちます。

私は、本に、絶に、順します。

牧師先生の言葉に、もちろん順します。どんな言葉でも受け入れることができますと

しかし、際に御言葉が私にえられた時の自分の姿、

私の姿を、神は見せてくださいました。

にとても申しなくて、合わせる顔はありませんが、悟らせて下さり感謝しました。

ペテロは多くの失敗をしたもので、主にして恥ずかしい思いがありましたが、やがて主の尊い弟子として用いられました。

ペテロは自分を愛して下さり、赦して下さったイエスを、とても愛しているがゆえ、

イエスを最後までってイエスのために命さえも差し出すことができたのです。

私も、主の前で恥ずかしい思いが山あるんですが、

でも、ペテロのようにやがて主の尊い弟子となり、最後まで主についていく私になることをイエスのみ名で宣言します。

私に奇跡を起こしてくださった神

私にみを、愛を下さった神を絶疑いません。

イエスに「信仰が薄い者よ!なぜ疑うか?」と言われるのではなく、

主にほめられ、認められる私達になることをイエス キリストのみ名で祝福します。