交通事故

 

1月15日の主日礼拝のあと、私は交通事故に遭いました。このときの証をお話します。

礼拝を終えて、その日、金チャンス執事の家に招かれていました。その時、私の心の中にはサタンがいました。去年の年末からずっと霊的に悪い状態にありました。終末のメッセージや、フリーメーソン、イルミナティの話を人間の力で信じようとしていたのでした。表面的に信じて、心の奥底では、神様を疑っていたのです。

チャンス執事に、私は困った質問をしてやろうと企んでいました。その家での交わりを妨害したい心が生まれていたのです。知識や頭の良さでは大学先生には敵わないので、サタンは霊的な質問をしろと囁いていたのです。

礼拝が終わり、容仙一家と一緒にチャンス執事の家に向かい始めました。私は妻とあい姉妹と歩いていましたが、すぐ先に行っている、容仙兄弟とシオン君に追いつこうと自転車で走り始めた時に事故に遭いました。止まっていたトラックの前を横切ろうとしたときに、いきなりトラックが私に突っ込んできたのです。

自転車の前輪は壊れ、私は吹っ飛びました。何が起こったのかわからず、痛みよりもショックが大きかったです。周りに人が集まって来て、すぐにパトカーがやってきました。警察官に動かない方がいいと言われ、救急車が来るまでその場でじっとしているように言われました。

すると、遠くの方から聞いたことのある声が聞こえてきました。

千恵とあい姉妹の声でした。私はその声を聞いてほっと安心しました。すると、二人の会話がよく聞こえてきました。

あい姉妹「あれ、たかしさんの自転車によく似てるねー」

千恵「あ、そう。それでね・・・あはは(笑)」

楽しそうな会話が近づいてきて、なんと2人は、私が倒れている横を通り過ぎようとしたのです。主よ、こんなことがあっていいのでしょうか?

愛する妻が、事故で倒れている夫の横を、笑いながら歩き去ろうとしているのです。

私はあの時なら、イエス様の「わたしについて来る者は、家族も何もかも捨てなければならい」という御言葉にはっきりアーメンと言えたでしょう。

しかも、すぐ後ろを歩いていた妻よりも、パトカーの警察官の方が早くやってきました。

救急車にのせられて、すぐに救急隊員が病院に連絡をとっていました。その時、私ははっきり悟ったのです。これは、霊的なことであると。サタンに騙されていた自分がはっきり見えたのです。私はチャンス執事の家に行かねばならないと決断しました。救急隊員に足の痛みはなくなったから、救急車から降ろしてくれと言いました。最初、救急隊員はびっくりしていて、病院へまず行った方がいいと言いました。そして、愛する妻が救急車に乗ってきました。体温計やら、血圧とか測定しているときに、もう一度、救急隊員に足の痛みはないと言いました。すると、搬入先の病院がなかなか見つからなかったのか、救急隊員は警察官と相談してくると言って、救急車を降りていきました。そして、戻って来て、本人が大丈夫と言っているなら降りていいと言われました。不思議と痛みがなくなっていました。今なら行けると考え、教会に壊れた自転車を運んでから向かうことにしました。

教会に着くと、パク先生とヨンミ先生に事故のことを報告しました。すると、ヨンミ先生からチャンス執事から癒しの祈りを受けるようにと言われました。

そして、チャンス執事の家に向かったのです。

 

チャンス執事の家での交わりは、私にとって本当に恵みでした。

今日は早めに終わらせるからと講義が始まり、結局4時間、講義は続きました。しかも、ベリーチップだけで4時間かかりました。しかし、私には本当に恵みの時間でした。事故に遭って、私は霊的に目を覚ませと神様に言われてから、チャンス執事のすべてのメッセージを心に受け入れる準備ができていたからです。私の中で、神様への信頼が回復され、信仰の目を覚ますことができたのです。そして、ヨンミ先生に言われた通りに、チャンス執事に癒しの祈りをしてもらいました。

次の日、朝起きてみると足が腫れ、痛みがありました。私は、チャンス執事の癒しの祈りは効かなかったのかと落胆しました。しかし、その瞬間、私は悟りました。私の肉体よりも、霊が癒されていたのです。肉体の傷は時間が経てば回復します。しかし、心の傷は信仰によって、決断しなければ回復しないのです。私は、すぐに教会へ行き、神様に悔い改めなければならないと考えました。

事故に遭ったのは、神様の警告でした。チャンス執事の家での交わりは、神様の慰めでした。そして、ヨンミ先生が言った、チャンス執事からの癒しの祈りとは、神様の私に対する願いだということがわかりました。神様は私が早く癒されることを願っていたのでした。

静かに一人で神様に祈ろうと思って、教会に着くと婦人たちが集まってすごくにぎやかでした。

いつもなら、人目を気にして、声をだして祈れないのですが、今日は祈るしかないと決断しました。

自然と異言が口から出てきました。すると誰かが賛美CDをかけてくれました。強く、両手を上げて祈りなさいという思いが心にありました。いつも祈り会でパク先生に手を挙げて祈りなさいと言われ、しぶしぶ手を挙げていた私です。しかも、後ろの方では婦人たちがにぎやかに話しています。いつもなら恥ずかしさや遠慮で、手を上げることはできないのですが、それもサタンに騙されていたことだと思いました。婦人たちは話に夢中で、祈ってる私のことなんか目に入らないとわかったのです。何よりも神様だけに集中すれば、なにがあっても気にすることはないとわかったのです。

涙がぼろぼろ流れました。

両手を上げて、私は神様に降伏しました。私が何者でありましょうか。ひざをかがめて、私のすべてを委ねます。

主は、私の王です。私はしもべにすぎません。主の偉大さ、力を見ます。

私に誇るものはありません。誇るとしたら、私を愛し、導いてくださる主の力を誇ります。王なる主よ、誉め称えます。

主なるイエス・キリストを私の王だと認めます。

イエス・キリストだけを誇る、私とみなさんになることを祝福します。