ハレルヤ

主の御前で喜ばれる宣言になることを願います。

私には中学校から仲の良い友達が多くいます。

私に関してはわからないことがないほどとても親しい友達です

その友達が何か月前、日本に遊びに来るということでした。

 

久しぶりに友達に会えるということがとてもうれしいけれど、一方手は心が重かったです。

というのは、あまりにも世的な友達だからです。

私に霊的によくない影響を与えることをよく知っていました。

それで友達がくると聞いてから、すぐに祈りに入りました。

 

主よ、どうすればいいでしょうか。友達るそうです

私の心を捕えてください。

霊的に乱れることがないように私の心をつかんでください。

そしてできれば日本に来ないようにしてくださいと何日間を祈りました。

 

祈りのなか主が下さった心は「友達を遠ざけるように」という心でした。

しかし「友達を遠ざける」と思うと、私の心があまりにも痛かったのです。

なんか心にいる友達の存在を打ち消さなければいけないと思うと心がとても悲しくて涙を流しました。

友達がいなくなると思うととても寂しくもなりました。

それで、私は主の御心を拒否してしまったのです。

 

日本に来たともだちと34日を一緒に過ごしました。

ところが、とても楽しかったのです。

友達の肩に寄りかけるだけでほっとするのでした。

楽しい時を過ごして友達は韓国に帰りました。

それから、やっぱり私の霊的状態がよくないことに気付きました。

 

私が安らぎを得て休む対象は友達ではない、イエス様だったのです。

イエス様によって喜ぶべきである私が友達に頼りながら安らぎを得て楽しんだのです。

主は祈っている中「あなたの友達があなたの偶像である」ということをはっきりと教えられました。

なぜなら、友達のため主が下さった御心を拒否したからです。

 

私は神様の御心とその教えに従いませんでした。

自分の欲の思いに追いかけることは友達だけは済まないものです。

その欲は次から次へ、やがて世へと私を引っ張っていくでしょう。

イエス様他のものに心を奪われるもの、それがまさに偶像でありました。

悔い改めながら目が覚めていきました。

 

出エジプト 20:2~5節はこのようにおっしゃいます。

「わたしは, あなたを エジプト の 國, 奴隷の 家から 連れ 出した, あなたの , 主である あなたには私の他にほかの 神があってはならない  あなたは, 自分のために, 偶像を 造ってはならない. 上の 天にあるものでも, 下の 地にあるものでも, 地の 下の 水の 中にあるものでも, どんな 形をも 造ってはならない.  それらを 拜んではならない.  それらに 仕えてはならない. あなたの , 主であるわたしは, ねたむ , わたしを 憎む 者には, 父の 咎を 子に 報い, 三代, 四代にまで 及ぼし」

 

 

主よりももっと愛するもの、私の心に押し迫ってくるもの、

どんなものも心に許すことはしません。

世が与える心を徹底的に断ち切っていきます。

 

何ものも主より優先せずに、イェス様だけを一番愛する、

私になることをイェス・キリストの御名で宣言します。

 

主は私たちを最後まで導いていきます。自分で主の御手を離さない限りです。

世を見つめる目、妥協する心ではなく、絶対的にイェス・キリストだけについてゆく、

私と皆さんになることをイェス・キリストの御名で祝福します。