主に受け取られる正しい宣言になることを願います。

今年、春学期の学費を納めることができ、私は福祉施設で仕事をすることになりました。

最初に学費を貸してもらえるという条件で福祉施設に入った時は、

学費が解決されたのが、うれしくて他のことは考えていませんでした。

しかし、この前、私が誤った夢を見て、正しくない証をしたことが分りました。

そのことをきっかけに、福祉施設での仕事を振り返ってみることになりました。

 

福祉施設で私はこういう仕事をしています。

建物の1階では、精神障害、知的障害、身体障害児童をサポオートします。

23階はグループホームで障害者がその建物に住んでいます。

大体、障害者の食事、お手洗い、お風呂などの補助をします。

そこでは、突発的な事がしょちゅう起こります。

精神的な障害で発作を起こしたり、攻撃し、襲いかかってくる時もあります。

また、顔につばを吐きかけられたり、叩かれたり

散歩の道で、いきなり道路に駆け込んだり、

線路に寝転んで動かないことなどが、多くあります。

 

しかし、当時は、そんなに大変だとは考えていませんでした。

ところで、2階のグループホームの介助の事を任されてからすべての事が変わりました。

色んな人の面倒を見ているから、忙しい1階とは違っていました。

3階には女性の利用者が三、男性の利用者が二人、住んでいます。

彼らを補助する事は、単純に何かをしてあげること、とは違いました。

障害があることだけであって、私たちと変わっていないからです。

人見知りをし、嫌いなことは我慢しない、

かえって、からだが苦しいから、敏感なんです。

彼らの ある人は一緒にいるだけで疲れてしまいます。

その人の前では俳優さんになって劇を演じるようなことをしなければなりません。

ある日は、私の先輩が、その人と遊んでいながら、

「私と同じくやってみて!」と言うのでした。

私が一番苦手な事をやってなんて、あきれてしまいました。

でも、私は、言われた通りやってみました。

倒れたふり、驚いたふり、

叩いてくると、叩かれながら笑うふり、

髪の毛を引っ張られたら、遊んでごまかしたりなどなど。。。

このようなことをしているから、ストレスがひどくなってきました。

 

その時、夜間勤務を任されました。

夜中に起きて、おトイレを這って行く利用者を補助する時でした。

私の姿を見ていた先輩がこのように言ったのです。

チュさん!顔がむっつりしているよ、何か話してね!と言われたのです。

体は疲れていて、夜明けの3時になのに、トイレで対話をしろということでした。

その言葉が、頭の中で消えなく、一日中考えました。

 

そして、私の姿を見つめるようになりました。

相手にこう思われたらどうしょうと思い、逃げて行った自分の姿、

嫌な事はしない、悪い心を変えるために、

神様もかも引き出すのでした。

また、感謝のない自分の心のゆえ、ストレスを受けていました。

学費のことでなかったら、絶対にああいう所に行くものかと思うところでした。

それにしても、その施設は悪い心を持っては耐えることができない所なのです。

人の心を汲み上げてあげる、という事は、

私の利己的な心を捨てなければ、できない、ということを教えられました。

誰かのために犠牲を払った事のない、恥ずかしい自分の姿を見せつけられるところでした。

自分を捨てる事ができる場所に遣わして下さり、またチャンス下さったことを感謝しました。

 

この前、担任牧師様はこのような話をしました。

竹は5年の間、地の下で準備して芽を出すのですが、

25メートルまで伸びるために、硬く節を作りながら成長していくと言いました。

やわらかい木の管が、硬くなる苦痛を、耐えながら、竹は伸びて行くんだそうです。

私は、今の環境を飛び石だと思って乗り越えて行きたいと思います。

堅く節を作りながら、成長していく私になることをイエス様のみなで宣言します。

たとえ、そうでなくとも、ただ感謝を持って、主に栄光を捧げる私になる事をイエスのみなで

宣言します。

与えられた環境の中で、必ず主だけをしっかりとらえ、

感謝をもって、成長して行く私と皆さんになることをイエス様のみ名で祝福します。