ハレルヤ。

このメッセージが神様の喜びとなりますように願います。

 

みなさんは自分がクリスチャンであることをどのくらい証して生活していますか?心の中で両手を上げて主に頼り、「私はあなたを信じます、私はクリスチャンです」このように他人に証するとき、主が力を与えて下さるのを感じたことが何度もありました。主によって電流が走るような力の注ぎを感じるのです。

 

私が劇団で仕事をしていたころもそうでした。大勢の役者、スタッフによって作り上げる演劇の世界です。そしてまた日曜日はお客様がたくさん入るというお芝居の世界です。安息日だからといって自分だけが舞台に上がらないということは不可能でした。礼拝を守りたいけれど現実的に難しい。そんな環境で私が切に祈ったとき、神様の方法で礼拝を守ることができるようにしてくださったのです。この奇蹟は私に二度訪れました。そして今、同じ仕事をしている主人もその恵みを受けています。

 

こんなことがありました。早朝から仕事があった問題の日曜日。私の直属の先輩がなんとクリスチャンでした。その当時、一部日本語礼拝で私は賛美を導かなくてはなりませんでした。このことを証しすると、そのクリスチャンの先輩の計らいによって、私が礼拝に行くことを赦して下さいました。日本人のクリスチャン人口が2パーセントに満たないと言われる世の中で、教会の外で、こんなにも神様が働いて下さるということがわかり、本当に感謝しました。

 

劇団を辞める時も神様が力を下さいました。神様の道に進みたいと思うようになり、劇団を辞めることを決意しました。私は戸惑いながら、また祈りながら、劇団を運営する責任者に正直に手紙を書きました。そして、最後の日には劇団員全員が集まる総会の場で、自分がクリスチャンであることを証ししました。そして、福音を伝えるために今やるべきことをやりたいので、お世話になった職場を離れることを赦してほしいと、伝えました。この時、この事を伝えながらたくさん涙が流れました。この日までの道のりは簡単ではありませんでした。迷いもしました。でも今、全く後悔はしていません。

 

このようにしてクリスチャンであることを証ししたときから、周囲の環境が少し変化したように思います。意識せずとも、離れて行く人とは疎遠になり、思ってもみなかった人が自分に近づいて来ているように思います。自分が何かをしたというわけではありません。でも近くにいる人とは、自然と神様の話をするようになるし、その人のことを思いめぐらし祈ったりします。

 

このことを一つとったとしても、神様の計画は図り知れません。自分の思い、計画で進めることは、とても苦労し、大変です。でも神様の働きによって開かれた道は、とても歩きやすく、苦労があっても、それには恵みという報いがあります。

 

先日、はっとする聖句に出会いました。

ヘブル人への手紙第12章12−13節です。

「ですから弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、癒されるためです。」

 

神様への道は狭く、険しい道だと言います。信仰生活もやさしいものではありませんよね。でも、振り返ってみると、広く歩きやすいように思えた世の中の道で、私たちは様々な苦労を味わい、心や身体の病を負い、傷を受けて歩んで来たのではないでしょうか。

 

神様は使徒パウロを通して、私たちを元気づけて下さっています。弱った手、衰えた膝、これらを今まっすぐにすべき時です。そして私たちの足のために、まっすぐな道を作りましょう。これは主の御前へ通じる道です。確かに狭い道です。険しい道かもしれません。でもこの道こそが、私たちの足の関節が外れることの無い道です。癒される道なのです。

 

身をもって体験しているこの神様の御業をどうして人に伝えないでいられるでしょうか。

 

「私はクリスチャンです」そう人に告げる度に、主は聞いてくるでしょう。

「おまえは本当に真のクリスチャンなのか。」そのとき自分自身を顧みて悔い改める機会をくださることでしょう。そしてなおも「そうです、主よ、私はクリスチャンです」と主に両手を挙げる時、主は喜び、力を与えて下さることをイエス・キリストの御名によって信じます。

 

だから、私たちはただ、神様が次々に用意してくださる計画の道を、喜びをもって、元気に進もうではありませんか。私たちが癒されるために、そして同じように多くの人が癒されるために、私たちの膝をまっすぐにしようではありませんか。だって私たちは主のプライドです。

 

愛するみなさん、これから私たちには、主によって多くの魂が委ねられていくことになるでしょう。にもかかわらず、時には自分の信仰の一寸先の道も見えない状況に出くわすこともあるかもしれません。他人の魂のことまで力が及ばないこともあるかもしれません。

 

そんな時、この使徒パウロの言葉を思い出し、主に両手を挙げて「私は真のクリスチャンです」と宣言する私とみなさんとなることを、主イエス・キリストの御名によって宣言します。必ず、主がそのような私たちを捕らえ、道を造って下さることを主イエス・キリストの御名によって祝福します。