ハレルヤ。主だけを見上げて主に宣言する証となることを望みます。

 

皆さんも知っているように、私のお腹には今6ヶ月になる小さな赤ちゃんがいます。

結婚してから二年が経っていましたが、神様がこのように命を与えて下さるまでには色々なことがありました。

私にとって子どもを産むということは、自分の罪と着ずに直面することでした。

表面では子どもが授かることを望んでいました。しかし心の奥ではそのことに関する恐れがありました。

 

しかし、主とだんだん深く交わりができるようになりました。

そして、子どもに関する祈りを主人と始められるようになりました。

毎日夜寝る前に、主人と手を握り合って祈ります。

最初は私の心が塞がり、とても大変でした。

時には、形式的になったり、投げやりになった日もありました。

また、世の終わりの話が語られ、子どもを作ることが主の御心ではないのかもしれないと思い、悩みました。

そして、試みに陥ったこともありました。

 

どのように祈ったらよいか全くわからなくなった時に、神様が御言葉を持って私にヒントを与えて下さいました。それがハンナの祈りでした。

 

第一サムエル記、1章11節を見てみましょう。

「そして誓願を立てて言った。『万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子をさずけてくださいますなら、私はその子の一生を主にお捧げします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。』」

 

何度も聞いた御言葉なのに、この時、私に一筋の光が射して、心がとても明るくなりました。

「そうだ!赤ちゃんが授かったら、主に捧げますと祈ろう。」

この日から、祈りが私の唇から自然に出るようになりました。

夫婦の祈りはとても祈りやすいものに変わったのです。

子どもは私のものではなく、神様のものであることを、再確認したからです。

そのようなやり方で、私はだんだんと、子どもが欲しいという自分の欲が、欲ではなく、希望となりました。

 

そして初めて妊娠を待ち望むという喜びを知りました。

不安な心で待つのではなく、期待して待つ、と言うことがこんなに素晴らしいことなのかと知りました。

実際、妊娠しなくても、この気持ちだけで充分だとさえ思いました。

こんな気持ちを味わうことができて、本当に幸せです。

神様、本当にありがとうございます!!

そうして自らを諦めた時、神様は赤ちゃんを私に宿して下さいました。

 

3月、プニューマ木曜賛美礼拝で、ドキッとさせられることがたくさんありました。

祈りの度に、ペ・ジュンヒョン神学生が私にとりなしの祈りをしにきて、主からの思いを伝えて下さったからです

一週目はこう言いました。

「千恵さん、ハンナの祈りを知っていますよね?主がそれを聞きたがっています。

とてもびっくりしました。私の誓願は神様との個人的な交わりの中だけのものでした。

しかし、ぺ・ジュンヒョン神学生を通じて、神様が私に祈りをもっと聞きたいと要求していたのです。

 

そして二週目はまたこう言いました。

「千恵さん。先週言ったこと覚えてますよね?神様は口先だけの祈りではなくて、ハンナの心をもっと知ってほしい、そして祈ってほしいと言ってます。」

 

そして三週目もこう言いました。

「千恵さん。ハンナは弱い女の人ではありません。強い女の人なんです。それを覚えて下さい。」

 

なんと、神様は三週間連続で私に語りかけて下さったのです。

神様がわたしを監視しているのでしょうか?

というよりは、私のことを、覚えて気に留めて下さることが、感謝でした。

 

そしてその後4月に教会学校でも、子どもたちのための「ハンナの祈り会」が行われました。

本当に聖霊様の不思議な導き、恵み、愛だと思いました。

 

誓願を実行していくのは、やさしいことではありません。

妊娠中の今だって、その難しさを感じるのに、生まれてから待っている多くの戦いは想像を絶します。

しかし、できるかできないか、今考えることが重要なのではありません。

今、主が願っていること、それは、私がそれをしますと宣言することだと思います。


この宣言、説教を書くように主から言われてから2ヶ月が過ぎてしまいました。

この2ヶ月は私の弱さから出てくる遅れでした。

主が今やれと言うことをやらないで、先延ばしにしていたことを悔い改めます。

そして自分には自信が無いし、できないと思うのは、自分の力に頼っていることです。

主がヒントを与えて下さり、祈りを導いて下さり、ここまで来ることができたのです。だから、この先も主に祈り、頼って進んで行けばよいのです。

 

アガペチャーチのたくさんの子どもたちを見ながら思います。

世の終わりに主が下さった命です。

主の御心があるから下さった命です。

主の使命があり、主が愛しているから生かして下さった命です。

私たち親はその管理者です。子どもたちは主のものです

 

これから多くのことが待ち構えていることを覚悟します。

それでも恐れること無く、主に私の子どもを捧げる親となることを主イエスキリストの御名によって宣言します。


そして全てが主の栄光となることを望みます。

いつも主を見上げることを約束します。

手を取り合って、主のために働く私たちとなることを、主イエスキリストの御名によって祝福します。