「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。

しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

イエス様の働きの原則は、父が命じられただけをなさることでした。
イエス様の人生は、ただ父を証しすることでした。
十字架の苦難の杯を避けたいという気持ちもあったが、父のみ心だったので従順ました。
イエス様のすべての人生の原則は、父の思い、み心を守ることでした。
この原則は変わりませんでした。

子育ても同様に中心の原則があります。
どのような状況にあっても揺るがない原則があります。
もちろん、その原則は、聖書から来たみ言葉が根本にならなければなりません。

誰もが子供を "どのように育てる?"に対する考え方があります。
しかし、 "どのように"の所にポイントを合わせると、状況の変化に応じて方法が異なります。
その時に、子供や親自身も混乱の原因となります。

どのような問題でも原則に基づいて方法を適用すれば、親と子が互いに混乱することはありません。
方法を選ぶ時にも、その源が "世の中と私"から出てきたのは、
クリスチャンが採るものではありません。
原則が、神様から出たことなら、方法も神様にあります。

神様の御言葉から出てきた子育ての原則は、クリスチャンの親を立てていく筋になります。
私たちの生活の中で毎日私はみ言葉に基づいた、原則として子どもを育ててきたのかを振り返ってみて下さい。

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静かに御言葉を黙想します。
・もし、原則がなく、気分に応じて子どもを養育していた場合、悔い改める時間を持ちましょう。
・黙想の内容の中で取りたいと思う内容は何ですか?
・子育てで私が立てた原則は何か書いてみてください。
・原則がなければ、家族全員が集まって一つずつ作っていくことも勧めます。

1
)私たちの家族がみんなで守るべき事
2
)子ども間の紛争が生じたとき
3
)食事の席では、どうすべきか
4
)信仰生活に関すること - 礼拝、言葉を読む、祈り、など

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親の固有の領域以外の部分においては、
子供と一緒に相談して決定するようにしましょう。
すべての事に注意することは、決定されたことが、神様の品性を超えるものや
聖書の御言葉に反しないようにします。(例えば、礼拝の時には上手に出席する。)

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いくら重要な原則であってもみ言葉よりも上になってはならず、
律法的に適用することを避けるようにします。
原則の重要なのは愛です。

 

 

訳;李ナヒョン