御言葉 ルカ2:4~7

ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

 

タイトル この地に来られたイエスキリスト

 

ピエールは自分の身分を隠してまで好きな人と結婚しました。王なるイエス様は私たちのために身分を隠して私たちのために来てくださいました。

 

ヨハネ3:16

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 

イエス様は、永遠の死に向かって歩んでいる私たちのためにこの世に来てくださいました。そして30歳になったとき自分の身分を明かします。

「私は神の子である。私を信じなさい。そうすれば、救われます」とおっしゃいます。イエス様がこの世に来られることは創世記にも旧約聖書の中で登場した預言者たちもイエス様を予言します。

 

イエス様は、神様の時期に私たちを救う為に着てください下。しかし、イエス様がこの地上に来られる計画は想像を絶するものでした。

男を知らない乙女マリやから生まれました。そしてイエス様が生まれた場所は人があまり近寄りたくないと思う馬小屋でお生まれになりました。

そして、布に包んで飼い葉おけにうまれました。汚くて冷たい、人々の関心の無いところでお生まれになりました。

 

イエス様はすべてのメンツを捨てて、この世に来てくださいました。イエス様は神様の一人子だったのです。

 

しかし、この様な姿で来られたのは、私たちを救うためでした。

イエス様はご自身のすべてを捨ててこられました。しかも、最後には命まで捨ててしまいました。

なぜ私たちは、イエス様はご自身のメンツもプライドも捨ててくださったのに私たちは捨てられないでしょうか。

 

本当にイエス様を私たちは愛しているならば、イエス様のように生きていかなければならないのです。

私たちは自分自身のために生きるのではなく、イエス様のために生きていきましょう。

 

イエス様が私たち人間のためになぜ来てくださったのか、どうして苦しんでくださったのか考えなければなりません。

私たちの信仰生活の中で最も邪魔になっているのはプライドなのです。

イエス様の弟子である私たちがもっと対面やプライドを強く持っているのではないでしょうか。

私の人生を捧げてあなたについていきます。というのにも関わらず、自分のプライドさえも捨てることができないのに自分の命を捧げることができるのでしょうか。

 

日本ではキリスト教150年前に入りましたが、クリスチャンの数は0.5%です。

なぜ、日本の地で沢山の殉教者たちがいたのに関わらずどうしてクリスチャンの数が低いのでしょうか。

それは、クリスチャンたちが自分のプライドを捨てて誰か救う力が足りなかったからなのです。

だからこそ、今この時間私たちがプライドを捨てて神様のために伝道しなければなりません。

 

今日の世界のクリスマスを見てください。クリスマスは酒を飲んで遊ぶ日となってしまっています。イエス様の誕生のことなど触れずにデパートなどで慌しくクリスマスと騒いでいます。本当に胸が痛いことです。

 

イエス様。本当に生まれてくださって感謝します。イエス様は2009年前に生まれてくださいましたが私たちのことも良く知っておられます。

この日本の地で残念ながらクリスマスはイエス様の生誕だということを知っている人が少ないです。クリスマスはイエス様が私たちの罪を洗い清めるためにイエス様、あなたが生まれてきてくださいました。だけど、日本では全然知られていません。この時間もっとあなたの誉れ栄光を伝えていくものになります。クリスマスはイエス様の日なのです。

 

本当に生まれてきてくださり感謝します!!!!!!!!