主の奇跡が起こります8

 

神様はいつも聖さを要求します。旧約、新約時代でも、聖さを求めました。聖い者たちに志を与え、彼らを通して御心を成していきました。神様は民に語っています。

人生の問題の解決は聖さにあると。神様に用いられた人の共通点は聖い心と聖い霊です。

わたしが聖であるから、あなたたちも聖でなければならないと語っています。神様はヨブをみて、わたしの誇りだと言いました。

聖い者は天国をみます。天国に向かって、ダビデのように求めていきましょう。

聖いとは汚れたものを取り除くことです。それは清めることです。聖い心にイエス・キリストを迎え入れることです。そのような者に祝福を注いでくださいます。

聖くならなければ、何にも起こってきません。何も起こらないのです。聖さのない所に神様の臨在はないのです。

ペテロの聖さについてのメッセージを聞いて、2つの反応があります。一つは、心に刺されてどうしようと騒ぐ者、もう一つは心に刺されたことに恨みを抱く者です。私たちは前者になりましょう。

 

聖くなるためには、悔い改めが必要です。「聖くなるために悔い改めなければならない。」

悔い改めのない聖さはあり得ません。

思い出してください。聖霊様が最初に私の心に臨んだ時に何をなさいましたか?それは、自分が罪人だということに気づかせてくださいました。そして、悔い改めが起こったはずです。

ペテロはイエス・キリストを裏切りました。ユダも裏切りました。使徒としてたたされるか、自殺してしまうか、それは悔い改めをしたかどうかに分かれるのです。

 

部屋は毎日掃除するようなものです。毎日掃除しても、ホコリは起こってきます。このように、霊的に、心を毎日きれいにしておく必要があります。聖さと悔い改めによってクリスチャンは変えられていきます。悔い改めをしない生活は、いつも罪を蓄えている状態です。そのような状態は、イエス様の御名によって悪霊を追い出す自信感もありません。自信を持って賛美もできません。自由に堂々と神様を語ることもできません。祈りも大胆に言えません。このような人は隠れて礼拝しようとします。

罪責感がある中で、大胆にイエス・キリストの御名を呼ぶことは難しいのです。途中で諦めてしまいます。悔い改めがなされないと、神様との霊的な交わりが閉ざされてしまいます。どんどん心が堅くなっていきます。うわべだけの信仰を持つクリスチャンになってしまいます。愚かで怠け者は、汚い罪を何かで隠そうとします。

この者は、最後に掃除すればいいと思っていますが、これはなんともったいないことでしょうか。いつもきれいにしていれば、いつも注がれる祝福がないからです。最後に清算しても、それまで受けられるはずだった恵みを受け取り損なっているからです。

このようなことがないように、毎日、悔い改めをもって、主と交わりをもつ者になりましょう。自分が汚れていると思うなら、その汚れから離れましょう。そのままでいると、汚れている状態に慣れてしまい、汚れた状態が平気になってしまいます。罪とともに暮らしてはなりません。ホームレスに成り立ての人は、最初、自分のにおいに嫌になるそうです。しかし、だんだんに悪臭に慣れ、平気になってしまうそうです。周りの人はその人を避け始めます。罪に慣れてしまうと、罪と暮らすことになります。どんなに小さな罪だとしても、決して許してはいけません。

主が求めていることがあります。それは、神様と私たちの隔ての壁を打つ壊すことです。

私たちのうちにイエス・キリストがあり、イエス・キリストの中に私たちがとどまっていることです。

聖霊様がとどまるには、悔い改めが必要です。

天国を持ちたいなら悔い改めが必要です。

そして、生活の中で、罪の誘惑からもがくことです。小さい罪であっても放置しないでください。汚されないようにもがかなければなりません。罪に対して、敏感になってください。いかなる罪も赦さないと、決断する必要があります。礼拝を命にように捧げなければならないのは、その中に、祈りと賛美と悔い改めがあるからです。

主は、悔い改めと御言葉によって清められていきます。

迫害や困難によって成長するのでなく、その前に、悔い改めによって聖霊を受けましょう。

この人を通して、迫害や困難に対して奇跡が起こるのです。

きよい道具として用いられる私たちになりましょう。

 

罪を罪として思わなかった足りない自分の姿。悪臭を悪臭と思わずに、主に自分を明け渡すことができずにいた自分の姿。自分の内側に悪臭を放っていたにもかかわらず、主よと叫んでいた偽善者の私。矛盾している私。罪を抱えながら、なぜ自分の人生は変わらないのかと、主を責めた私。

主の御前で罪を告白し、自分が気づかなかった罪も告白します。二度とそのような罪を赦しません。悔い改めた後、あなたの御言葉を心に刻んでいきます。

主を愛して、私に与えられた使命をなして生きたいです。どうか主よ、私を助けてください。悔い改めの霊を私に注いでください。

 

 

宣言と恵み

罪を罪として思わなかった足りない自分の姿。悪臭を悪臭と思わずに、主に自分を明け渡すことができずにいた自分の姿。自分の内側に悪臭を放っていたにもかかわらず、主よと叫んでいた偽善者の私。矛盾している私。罪を抱えながら、なぜ自分の人生は変わらないのかと、主を責めた私。

これは私の姿です。

心の底から私の罪を神様に告白できる自分になること宣言します。

生活の中で、どんな小さな罪をも赦しません。