主の奇跡が起こります9

 

主が語り続けているのは、聖さです。

世界の50%の人々は、自分がどこへ行くのか考えていないそうです。25%の人は、自分がどこへ行くのか関心があるのに、わからないそうです。25%の人々はどこへ行くのか知っています。しかし、その5%の人々は知っていながら実行していないのです。

行くべき道を知っているのに、なぜ、その道を歩まないのでしょうか?

それは、彼らには聖い信仰がないからです。なので狭き道を歩むことができないのです。聖い目的もないのです。ただ良い暮らしのために生きるのです。

重要なことは、いくら聖い夢を持っていても、その人に聖い生活がないなら、その夢は果たされません。なぜなら、神様は聖い人、聖い器を用いるからです。

主がくださった聖いヴィジョンが、自分自身の聖い生活がないために消えてしまうのです。

聖い器、聖い信仰の人になりましょう。

聖さがすべての鍵なのです。

聖さとは、外見のことではありません。内側の汚れを聖め、イエス・キリストを受け入れることです。

今日の本文では、コロサイ教会の話が出てきます。この教会はパウロがエバフロデに任せた教会です。パウロは神様が望んでいることを伝えました。それが、聖さでした。

 

コロサイ1:10〜12

また、主にかなった歩みをしてあらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。

また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。

 

ここで4つのことが語られています。

1 主にかなった歩みをすることです。

  うわべを飾ることでなく、悔い改めをすることです。

2 すべてのことに感謝することです。

3 主を深く知ることです。

4 主に感謝をささげることです。

 

 

今日は1のことについて語りたいと思います。

主にかなった歩みとは何でしょうか?

それは、イエス・キリストの弟子らしく歩むことです。勇敢な兵士のように、純血な花嫁のように歩むことです。主を信じる信仰の人らしく生きることです。

 

多くの人が世の環境や都合に合わせて、妥協します。これからは、神様が願う信仰の人として歩みましょう。

信仰の人を神様は助けます。

 

1970年代の軍事政権であった韓国でファン将軍という人がいました。彼はクリスチャンでした。大統領のパーティに招待されたのです。大統領みずから、ワインをみんなに注いで回りました。周囲の人々は大袈裟にそれを頂きました。とうとうファン将軍の前に大統領が来て、ワインを注ぎました。ファン将軍は、自分の胸ポケットにそのワインを注ぎました。大統領はいぶかしみ、また注ぎました。すると、ファン将軍はもう一つの胸ポケットに注がれたワインを入れました。ファン将軍はワインまみれになりました。大統領はそれを見て、怒りました。周囲も青ざめました。

ファン将軍はこう言いました。

「閣下、私はクリスチャンです。なのでお酒を飲むことはできません。しかし、閣下から頂いたお酒を捨てることはできないので、私の胸ポケットに注ぎました。」

周囲の者は、ファン将軍は失脚するだろうと考えました。

大統領は、「これからファン将軍に酒をついではならない。イエスを信じるなら、このように信じなさい」

それから、ファン将軍を全軍のトップに任じました。

 

この世で神様を高める者は、神様がその人を高めてくれるのです。

絶対的な権力の前で、このファン将軍のように言える人がどれほどいるでしょうか?多くの人は、仕方ないじゃないとして、主もこれくらい理解してくれる、世の前でお世辞を言ったりするでしょう。

主はそれをちゃんと見ています。

 

「世の中とは、こういうもんだ、このようにしないとうまくいかないよ」「うまくお金を稼げないよ」といった考えに対して、「すぐに断ち切るべきです」

神様は、神様の方法で、聖い生き方をしている人を救うのです。

驚くべきことが起こるのです。

ダニエルは、ネブカドネザル王の前で、絶対に信仰を捨てませんでした。死に脅かされても、偶像を拝みませんでした。主は、「わたしはあなたとともにいる」ということを見せてくださいました。

 

信仰の歩みによって主は喜ばれるのです。その信仰によって祝福されるのです。

信仰が実を結ばさせるのです。

神様は偽りを語れません。その神様が私たちに語っています。

聖くなりなさい。

人生には様々なことが起こります。そのような状況に関係なく、信仰の人らしく生きましょう。

神様の心を喜ばず、すっきりさせる、信仰の人になりましょう。

聖い主の良き兵士となること祝福します。

 

 

宣言と恵み

世の中で、そうするしか方法がないと妥協してきた自分を悔い改めます。主に信頼できなかった自分が恥ずかしいです。

家計のこと、仕事のこと、世の中で、はっきり自分の信仰を証する人になることをイエス・キリストの御名によって宣言します。