崩れた礎を築き直すものとなりましょうⅣ

 

100倍の収穫をいただく霊的なイサクになりなさいというメッセージを2011年初めに神様からいただきましたね。でも収穫はある日突然もらえるものではありません。祝福の種は良い地に蒔かれなければなりません。そしてそのために次は人生の礎を築き直しなさいというメッセージを神様が下さいました。

マタイ13章には、御言葉、祝福の種がどのような心に蒔かれるかによって祝福が変わると書いてあります。固い心の地を柔らかく耕しなさいと言っています。

 

今日は最後の4つ目の柱についてお話しします。「自分と神様との関係」です。

中国で大地震が起こりましたね。地震が起こり始めた夜中、子どもたちは部屋の中で眠り大人は地震の様子を見ようと外に出ていました。揺れはひどくなり、6歳の娘と4歳の息子を部屋に残した父母が外でうろたえていました。父親がマンションに助けに入ってしばらくして建物は倒壊しました。幸い子どもたちは大きなコンクリートの下敷きになっていたものの息がありました。停電しており救助隊も来ません。民間人が二人を助けようとしましたが、コンクリートの割れ目から鉄パイプでてこの原理を使い助けるというやり方でした。しかしこのやり方で2人を助けることは不可能でした。どちらかが犠牲にならなければなりませんでした。救助の人は「どちらを助けたいか」と母親に聞きました。母親は「息子を助けてください」と泣く泣く言いました。娘は意識がありその決断を聞いてしまいましたが、母親が傷つくと思い、声を出すのをこらえました。結局娘は遺体となり発見され息子は助かりました。母親は娘の遺体を抱きしめ何度もごめんねと謝りました。

 

 

みなさん、二人の子どもの間であってもこんなにも心が引き裂かれる母親です。神様は人間のためにひとり息子を生け贄として十字架にかけなければならない神様の心はどうだったでしょう。神は実に世を愛されたという言葉のように、私たちを愛するが故に、ひとり息子をもっとも悲惨な姿で死なせなければならなかったのです。

 

ヨハネ4:9

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに命を得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

 

父なる神様は私たち一人一人をここまで愛しているのです。みなさん、神様に使えているものなら、愛の道を備えていらっしゃる神様の思いを忘れないようにしましょう。礼拝は神様を愛しているから捧げるのではないでしょうか。愛しているから献身しますというのではないでしょうか。

 

最近は神様の悲しんでおられる御心が注がれています。ですから私たちはただ泣いてしまいます。私たちはこの世ばかり見つめて神様の心に関心が無いのです。同じような心を持ちたいのに、ご自身の心をもっと知ってほしいと言っているのに、私たちが世に関心を向けてばかりいるから神様とひとつになれないのです。

 

十字架にかけたのはまさにそのためです。イエス・キリストよりも尊いものがどこにあるでしょうか。神様が私たちを見つめています。私たちも神様を見つめていきましょう。神様の御心を私たちが知らなくてはなりません。主の思いを求めていきましょう。そういう思いを持つことが自分と神様との関係が正しく結ばれている人だと信じます。

 

人生の礎を築き直して、主の導き、助け、祝福の中で、神様の計画している100倍の祝福を受け取る私とみなさんとなることを主イエス・キリストの御名によって祝福します。

 

〔宣言と恵み〕

ただ、主に喜ばれるものとなりたいです。

今年、主の思いを私に下さいとお祈りしています。すると本当に神様の関心事、悲しんでおられる心が注がれます。私自身はそれほど悲しくなくても悲しみがくる時があります。逆に喜んでいることもありました。でも神様がイエス様を十字架にかけなければならなかった悲しみは計り知れません。私には体験できません。多分それは私の信仰では耐えなれない悲しみなのだと思います。今はただその犠牲の心は体験できずとも、ただただ、神様の愛が注がれているように思うのです。そのことに感謝します。私には説明できない愛を注いで下さいます。

いつか神様のもっともっと苦しい心、痛みを感じる時がくるのだと思います。本当は自分がかからなければならない十字架についてもっともっと激しく泣く時がくるのだろうと思います。

それでも神様、あなたの御心を求めます。御心を注いでください。信仰を成長させてください。計り知れない愛を体験させてください。主イエス・キリストの御名によって宣言します。感謝します。