神様の摂理と御心を知りましょう。

 

創世記45-58

今私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。

神は命を救うために、あなた方より先にわたしを遣わしてくれたのです。

この2年の間、国中に飢饉があったがまだあと5年は耕す事も刈りいれることもないでしょう。

それで神は私をあなたがたより先にあなたがたのために残りのものをこの地に残し、また、大いなる救いによって

あなた方を生きながら得させるためだったのです。

だから、今私をここに遣わしたのはあなた方ではなく実に神なのです。神は私をパロには父とし

その全家の主とし、またエジプト全土の統治とされたのです。

 

本文はヤコブの息子であるヨセフの話であり、ヨセフの人生も大変な人生でした。

ヨセフの素晴らしさはどんな苦労、苦しみも信仰によって乗り越えてきたのです。

ヨセフは兄弟に騙されて商人にエジプトに奴隷として売られていきました。

監獄の中、模範的に暮らしながらも、濡れ衣を着せられたりという人生でした。

普通なら心に怒り、苦しみ、悪意を抱いてもおかしくない状況ですが

しかし、ヨセフの素晴らしいところは、決して怒らなかったのでした。

ヨセフの心は悲しかったと思いますが、人のせいにせず、つぶやかず感情によって怒らず流されませんでした。

 

またヨセフの素晴らしいところは、許す人だからです。神様は長い苦しい人生をとおらせて、

ヨセフは国を治める国務総理にし、その国を治めるための知恵をヨセフに与えたのでした。

知恵によって7年飢饉をしのぐための食糧の倉庫を作りました。飢饉が続く中、他国からも食料を求めにくるようになりました。その中に自分を奴隷として売った兄たちの姿もあったのでした。

しかしヨセフは13年前のヨセフではありませんでした。すでに総理として立っていました。

兄弟は気づかないでヨセフにひざまずきましたが、

ある日ヨセフということに気がついたのでした。彼らは気づいて恐れました。

自分達が売った張本人だからでした。ヨセフが怒って復讐したらどうしようと恐れたのでした。

しかしヨセフは「恐れないで下さい。」という本文の言葉を言ったのでした。

これはまさに信仰の極みです、それゆえ神がヨセフを尊く用いたのでした。

尊い事に用いられたのは神様の心を抱いて人を許すことが出来たからでした。

 

ヨセフの事をイエス様のひな形だといわれています。

人間が罪を犯して神に敵対にしていたが、イエス様が人間を愛して罪をゆるしたということが、

ヨセフと似てると言われたのでした。

神は信仰の人、許しの人にこの世の権威を与えてくれます。

ヨセフは神様から与えられた権威を自分のためにつかわなかった。自分の復讐のために神の権威を使わず

神から与えられたエジプトの総理という権威は自分のために使わないで神の計画だけに権威を使ったのです。

 

私たちは神様に愛されていますがヨセフのような成熟した信仰者になりますように。

 

エジプトの王がヨセフに妻を与え、子供が生まれました。子供の名をヨセフがつけました。

長男はマナセと言い、過去の苦しみを忘れたという意味で、彼はいままでの傷をすべてを信仰もって忘れた事を

この名前で現したのでした。

2番目の子供はエフライムと名づけました。エフライムとは結ばれた2倍の実という意味

今までの苦しみを主がいやし2倍の祝福とされたという神様への感謝もってヨセフはあらわしたのでした。

ヨセフの姿が神に属する性格として、私達がこのような性格とならないといけないのです。

 

しかし、彼の兄弟たちの態度は違いました。

ヨセフは兄弟に恐れないでください。私はあなたを許しました、安心してください。と言ったのに

彼らは、ヨセフを売ったという苦い根があったので、ヨセフが心配しないでくださいといっても

いつ、ヨセフが私達を殺すかもしれないという不安がありました。

そんな中、父が無くなり、兄弟は嘘をつきました。

ヨセフに死ぬ前に、兄弟にたちに復讐することなく良くしてやって、遺言だよといいました。

世のなかでも自分が害を及ぼした人は自分が復讐去れるんじゃないかと恐れます。

また権力を握った人は仕返してよろうと思うおもいがあります。

神を知らない人の習慣のようです。

しかし、世で成功を収めた人は平坦な道ではなかったと思います。

利用され騙されたことがあったり、誰かに裏切られたり、予期せぬ出来事で騙されたり、

成功した人の心は荒らされて、傷だらけで、心ガ かたくなになって、自分を追いつめた人を復讐してやろうとおもう。

しかしヨセフはもっとひどい傷があったのになぜゆるすことが出来たのでしょうか?

どうやって自分の過去の傷、痛みを忘れさって人を許せた理由は何でしょうか?

神の御心と摂理を知っていたからでした。

私の中にある神様の摂理、計画を知っていたからです。

私を裏切った人、人をゆるすことが出来る人はこの世を超越した人です。

この世に望みを置かず、天に望みを置いたということです。

天に望みを置いて生きるとき、この世にあるすべての人をゆるすことが出来るのです。

すべての万物の神様の摂理を知っているとき、私への人生の神様の御心、計画を知ったとき、

この世で起きるすべての事にいちいち私が反応しなくなります。

よみがえられたイエス様の福音を宣べ伝えました。そのとき話を聞いて良心に呵責を覚えた群衆たちは

石を手にしました。福音を伝えているステパンに対してもみ消そうと石を投げたのでした。

 

ステパノ執事は石を投げられても、むかついて投げ返したのではなく、神様に祈ったのでした。

主よ、彼らをお許しください。この人たちは何をしてるのか分からないのですといいました.

これはまさにこの世を超越した人の言葉なのです。

ステパノは神の摂理を知っていました。神様の御心が何であるか知っていた人なのです。

ですからステパノは人間や、この世のものに反応せず揺れたりしませんでした。

私への神の御心、摂理を知っていたステパノ、ヨセフは

まさにこの世に望みを置かず天に望みを置いていました。

 

いつ私がこの世を超越することが出来るのでしょうか?

それは神の御心、摂理を知ったときに、この地ではなく天に望みを置く事ができるのです。

しかし、この地上で、この世を見て、いまだに怒ったり反応したりする人は、

まだ神様の御心と摂理を分かってない人なのです。

この世で生きる中で神の御心を知っている人、知らない人の生き方が全く違うのです。

私の人生の営みの中で生きるのにうまくいかないとジタバタして世的にいちいち反応して生きるのでなく

自分の置かれている自分への環境の中で神様の御心を見出してください

神が私に語ろうとしている御心を見つけだしてください。

 

神の摂理、御心を知ったということがヨセフという人物を造りあげたのでした。

私達は神を信じるとは、神を信じて神の似姿に変えられていくことが大事なのです。

神様の摂理、計画を知って歩くことです。

神様の摂理をしって御心を歩む人が成熟した人なのです。

 

恵みと誓い

ヨセフのような信仰を目指していきたいです。

神様の御心の中で生きられることが本当に感謝です。

天国に行く日まで、主の中で愛し、許す人となりますことを

イエス様の御名によってお祈りします。