御言葉 イザヤ1:1~9

 

タイトル 神様に近づきなさい

 

今日の本文の身言葉はイスラエルの民を叱責する場面から始まっています。

聖書をみますと、神様はイスラエルの民たちを叱られるときに動物と例えて浮きぼりにしました。

動物に例えてけなすことばをかたります。今日神様は、動物は自然の環境に生きているのに、どうして人間はそのようにしないかと神様はおっしゃっています。なぜ、イスラエルの民よ、私をしらないのか。

あなたに恵みを施す主の姿を知らないかのか、あなたがたの今の姿をみなさいと言われているのです。

 

前の教会から働いていたときの生徒さんから電話がかかってきます。

話を聞いてみると、深刻でした。

その人は「神様は私に与えてくれない。神様は、他の人に私よりも捧げていない人、奉仕していない人にもtsと祝福をくださっています。なぜ、私がこのような信仰生活をしているのかわかりません」という不平を聞きながら

このようにアドバイスをしてあげました。牧師先生はいいました。

「今、このように神様の前で文句をいうのは問題ですが、もっと問題なのは今まで助けてくださった神様の導きがもっと問題です」

神様の前に自分が積みを犯していることに気づかなく、そして悟ることが出来ず悔い改めしようとする心がないことがなお問題なのです。

 

これか注いでくださる恵みに感謝する私たちとならなくてはなりません。どんな状況であっても主に感謝する私たちとならなくてはなりません。いつも思い出して感謝する私たちとならなくてはありません。

 

イスラエルの民たちは神様のことを信じないことはいちどもありませんでしたが問題なのは、心の中に神様がいないということなのです。歩んでいないことは問題なのです。私が何か決断するときにイエス様抜きに決めたりすることや普段の生活の中でイエス様が悲しんでしまうか、なにも考えずに話ししてしまう、その人生はどんなに教会に来て信仰生活をおこなったとしても、それはイエス様と一緒に歩んでいる人生ではありません。

 

神様はイザヤに幻を見せて、このことばを伝えないといわれました。神様がいない人生はこのようになります。

 

1精神と心が病んでしまう

神様は辛抱してくださいましたが、そのようの中でイスラエルの民たちは、心が疲れて病みます

2体も病んでしまう

足の裏から頭まで健全なところはなく・・私の生活の中で神様がいなければ心も病みますが体も病みます

3環境が病んでしまう

イスラエルの民を導く神様は全能の神様なのです。神様との霊的なものがたち、心が病み、体が病み、環境が病んでしまいました。このようなときはもっと神様に近づくことを決めてください。

もっと、神様に悔い改めていくこと、感謝の心ももってすすんでいくこと、感謝の気持ちを忘れないこと、これがすべて私を買える人生の必要のことなのです。

 

私たちはさらに神様の近くにもっとさらに近づくその姿が神様が喜ぶ姿であります。

私たちがもっと感謝し、悔い改めていくことが神様の御心なのです。

イザヤをとおして、神様のところに立ち返りなさいとおっしゃいます。

 

私たちの問題を解決する方法はさらに、神様の御前に近づくことが重要です。

神様のいない人生は、本当にむなしいのです。

 

反対に神様といっしょに歩む人に対しては

「神に近づきなさい。そうすれば神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗い清めなさい二心の人たし。心を清くしなさい。」ヤコブ4:8

 

私の魂はあなたにすがり、あなたの右の手は私を支えてくださいます。詩篇63:8

しかし、私にとっては、神の近くにいるこtが、幸せなのです。私は、神なる主を私の避けどころとし、あなたのすべてのみわざを語りましょう。詩篇73:28

 

私たちは主の恵みを忘れてはなりません。

 

神様、私の力では心の底から悔い改めることさえできません。神様、立ち返ることも自分の力では完全に出来ることができません。でも、主よどうかあわれんでください。主のそばに立ち返りたいのです。でも、自分の力では神様のそばに立ち返ることができません。神様、一緒に歩ませてください