日本語:神の御子イエス・キリスト(クォン・ジン執事)
私は神様を信じ始めたときに、神様と聖霊様のことはひっかからなかったのですが、イエス様については腑に落ちない気持ちがありました。それは自分とイエス様との関係がわからなかったからです。自分のために十字架にかかったということがわからなかったからです。三位一体なのにそれぞれ別の働きをしているのも不思議でした。
だけど私の疑問もいつかは無くなっていることに気がつきました。
これらを信じるには聖霊様の助けなしには無理だったのです。
素直に知りたい、教えてください、信じられるようにしてください、と自分から十字架に近づくことが必要でした。
私の高慢、傲慢を降ろして、謙遜な心をもって進まなくてはならなかったのです。
長くかかったように思います。
でも今もまだ不完全です。
神様のすべてはあまりに深く広く、完全に知り尽くすということが無いからです。
だから神様にもっと近づき、神様のことをもっと知りたいと願っています。
そのために代価を支払い、謙遜に主の御前に歩んで行くことをイエス様の御名により宣言します。
救われた頃、救いの喜びと恵みが、私には、覆われてました。私は福音を信じて受け取ったきから、疑ったことは一度もないタイプでした。世においては、一筋ならない、この私が「福音を聞いたとき、あっ神様っていたんだ、イエス様が神様なんだ」と
素直に信じ、信仰生活が始まったからでした。福音の初めはいろんな形がありますが、絶対、わすれてはいけないことは、救いの喜びをいつも思いめぐらし感謝する事だと思いました。
この証をとおして、いつも初心に帰り、救い主としてこられた、神の御子イエス様をしたい求め、
神様の救いの恵みのゆえに、もっと毎日感謝と喜びにあふれる私になることをイエス様の御名によって宣言します。
ハレルヤ!
私が最初にイエス様を知った時に神様がくださった恵みを分かち合う時間になることを願います。
私は子供の時、友達の誘いで教会に行っていました。
教会に行くと、家では母がくれないお菓子やプレゼントを沢山もらいました。
私はプレゼントをもらうために教会に通いました。
教会に何度か行って、教会は神様を信じるところだということは知っていましたが、
イエス様についてはあまり教えてくれませんでした。
その後、長い間教会に通えず、日本に来てからまた教会に行き始めました。
私が子供の時に行っていた教会では、イエス様のことをあまり教えてくれなかったんですね。
それで私は、イエス様という方が本当に神様の御子なのか?それが知りたいと思いました。
「本当にイエス様が生きている神様の御子ならば、
本当に驚くべきことではありませんか? それこそ真理なのではないですか?」
そのような質問をしながら、いつもお祈りをしていました。
「神様!本当にイエス様はあなたの御子ですか?私はそれが信じられません。」
「神様!答えてください、教えてください。」
このように何か月かお祈りしたと思います。
そしてその答えを探すために、よく理解は出来ませんでしたが聖書を読み進めていました。
そのようなある日、いつものように
「神様!イエス様は本当に全能なる神様の御子なんですか?」
と質問しながら心の中で祈り、聖書を読んでいた時でした。
その時、私の心にフッと入ってくる御言葉がありました。(へブル1:5)
“神は、かつでどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。
「あなたは、わたしの子。今日わたしがあなたを生んだ。」
またさらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」”
そして、私がその時開いた聖書の御言葉こそが、
今まで私が神様に質問してきた祈りの答えだということを悟りました。
そこは神様の御子であるイエス様についての御言葉に満ちたページでした。
その御言葉を読みながら、”どうして神様はこのようにぴったりと答えてくださるのだろう?”
と不思議に思いながら、神様に感謝しました。
そうです!
神様は人間を救うための通路として、御子であるイエス様を送ってくださいました。
誰であれ、その座を奪うことはできません。
私たちは、道、真理、命であるイエス様を通して天国くことができる、神の子供になりました。
私たちの救いの道となったイエス様に感謝し、
そのイエス様を通して、救いを受ける私とみなさんになることを、
イエス様の御名により祝福します。