2010年7月25日 主日1部日本語礼拝
エゼキエル 22:30-31
「破れ口に立つ者を捜しておられる神様」
メッセージ:朴東一牧師
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私はいつも誰かの祈りによって神様に近づくことの出来る一人だったと思います。
もし、誰かの犠牲の祈りや献身がなければ、私はソドムとゴモラのようになっていたかもしれません。
今度は私の祈りが、ソドムとゴモラにいる人の救いの1歩となるようにイエスさまの御名によって宣言します。
破れ口に立つ者を主は探しておられます。
私がその者になりたいです。
とりなす者になって助けるものになりたいです。
イエスのみなで宣言します!
破れ口に立ってとりなすものになるため、自己中心的な自分の姿が邪魔になります。
しかし、罪のないイェス様の完全な死と祈りによって私が救われていることを忘れない私になります。
自分はできないけど、神様のその愛をいつも思い、この地と人のための心を求めていきたいです。
無知とおろかさのかわり、自分を思う心の変わり主の涙を、神様の知恵を求めます。
イエス様のように手をあげとりなし祈りの奇跡を見る私になることをイェス様の御名によって宣言します。
神様に喜ばれる祈りをする私になります。
神様の御心を私にもください。
神様の心をもって人々をとりなす私になるようにとりなしの霊を注いでください。
破れ口に立ってとりなしする私になりますようにイェス様の御名によって宣言します。
この地を滅ぼすことがないように人を探しておられるなら私がここにいると伝えたいです。
神様の心を抱きしめて滅ぼされる御霊と国の為にとりなすものになります。
モセのように私が破れ口に立つ者になるのを信じてイエスクリストの御名によって宣言します。
異邦の地でとりなすアブラハムと母国ではない神の多い国に住んでる私たちの状況と一緒だなと思いました。
でも私はこの日本のために涙で祈ってるかというとそうでもないと思います。
今住んでる日本のため涙で神様の哀れみを求める私となりますように
あと、神様を知らない人々と神様の間の破れ口にたって涙で神様の哀れみを求められる私となりますようにイェス様の御名によって宣言します。
主の心をもって祈るものになりたいです。
主の国が建てられますように、とりなし祈りをするものになることをイエス様の御名によって宣言します。
私は両親や長男のために祈っていました。しかしロトの家族のようにソドムの生活から抜け出れない状態がずっと続いていました。
少し諦めの心が最近ありましたが、今日の説教をとおして、とりなしの祈りを主が覚えていて、その日にロトを御使いが無理に引き出したように
主が救い出してくれることをしって、主に感謝しました。しかし私は足りない者です。
神様の御前にとりなし手として立ちたいです。主がもっともっと深くとりなしできるようにしてください。モーセ、アブラハム、イエス様のように
自分の命よりも魂を思う心、自分の命がなくなっても相手を救いたいとねがうとりなしがいつも出来ます事をイエス様の御名によって宣言します。