今年の2月に家庭訪問礼拝を行いました。
そこで牧師先生に進路を聞きました。
私は、主のために働くため、劇団に専念し、主を伝える演劇を本格的に始めたいと伝えました。
そして、収入を得るために働いていた仕事を辞めたいと思いますが、どう思いますか?と訪ねました。
金テォン先生の答えは、劇団をやめて、収入のある仕事を続けてくださいということでした。
正反対の答えにびっくりしました。
私の予想では、「よく荒野の道を決心しました!家庭の経済は大変だけど、主の祝福がありますように!」といった言葉を期待していたのでした。
しかし、金テォン先生からは、「正社員になって働きなさい」でした。
その時は、意外な返事にびっくりしながらも、私は「アーメン」と答えました。
それからです。劇団を辞めると考えた瞬間から、それまでいつでも辞められると思っていた劇団がとても愛おしくなってきました。
さらに今まで上手くいかなかった劇団での仕事が、驚くほど上手くいくようになり、劇団での信頼関係も高まりました。
劇団の偉い人から、「来年の作品をやってみろ」と推薦の言葉も頂きました。
私のヴィジョンは、演劇でイエス・キリストを伝えることでした。
それを実現できることが、目の前にあったのです。
でも、私は主の御心は劇団を辞めることなのだと、自分を言い聞かせ、劇団の偉い人に辞表を出しました。
主の御心がはっきりしたなら早く行動した方がいいのです。
優柔不断な態度を取っているとサタンにやられます。
しかし、戦いもありました。
それは、今まで関わっていた同僚の人たちをどうやって納得させて、辞めることを承認してもらうかということに私が悩んだからです。
妻は「正直に神様に言われたから、その御心に従うから辞めますと言えばいい」と気軽にアドバイスをくれました。
私は、そのアドバイスに従って、いろいろな人に「神様の御心に従うので辞めます」と言いました。
しかし、神様を知らない人に、いきなり御心とか、イエス・キリストとか言ってもわからないので、たくさんの説明が必要でした。
私は、劇団を辞めるまでに自分がなぜ救われたかを証し、多くの人に詳しくイエス・キリストとは何なのか、会議や電話で話すことになりました。
今、振り返ってみれば、イエス様のことを紹介し、自分の証を話せたことは主の御心であったと思います。
主の伝道の方法は、なんと多様なことでしょう。
それから最後に、劇団の総会というものがありました。
劇団員全員が参加する会議です。そこで正式に退団が承認されることになります。
私は、最後のスピーチで何を言うかずっと考えていました。
その時、毎週日曜日に、私が楽しみにしている講義がありました。
それはキム・チャンス執事の「終わりの時における花嫁修業」です。
私はこの講義で眠くなったことはありません。
私はコレだ!と思いました。
私が総会でスピーチするために用意した原稿は次のものです。
「みなさん、イエス・キリストを信じてください。
と言っても信じないみなさん。これから、起こることがあります。
間もなく、イラクとイスラエルが戦争を起こします。
第3次世界大戦が起こり、世界大統領が選ばれ、通貨はアメリというものになり、宗教は多元主義によって統一されます。
そして、ある日、クリスチャンが一斉にいなくなる時があります。
それをみなさんはUFOによって連れ去られたという報道を聞くことになるでしょう。
しかし、私が一番、注意して言いたいことは、ベリーチップです。
今までの話を全部信じられなくても、ベリーチップだけは体に埋め込んではいけません。これを埋め込んだら終わりです!
残された時間は少ないです。
イエス・キリストを頭で考えるのではなく、心の目で神様を見つけ出してください。」
私は、本気でこのような内容のメッセージを話そうと思っていました。
私は気が違っていると思われるのを覚悟で、自分のスピーチの番がやってくるのを待っていました。
そして、150人くらいいる劇団員の前に立って、用意した内容を話そうとすると、私の口からはまったく違った言葉が出てきました。
それは、マタイ11:28〜30でした。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなた方もわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいにやすらぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
わたしは、ほとんど聖書暗唱ができません。
しかし、この御言葉がすらすら出てきました。
私はこの御言葉の箇所も忘れていて、あとでどこに書いてあったか探したほどです。
主は、私がチャンス執事のようにベリーチップやフリーメーソンのことを上手く語ることができないことをよく知っていたみたいです。
彼らに、いきなりベリーチップのことを話すのは、赤ちゃんにカレーライスを無理矢理食べさせるのと同じだったのかもしれません。
主は、彼らに、そのとき、必要な言葉を、語らせてくれました。
主の愛は人間的な愛とは違います。律法的な愛とも違います。
これから伝道する時、私は主の御心が私に注がれるように求めます。
人間の愛ではなく、自分の成長のためではなく、人々に、これからも福音を運んでいきたいと思います。
伝道は勇気がいりますが、主の霊が私たちに注がれるなら、なんでもできます。
私は私を強くしてくださる方によって何でもできるのです。
主とともに歩み、私たちの愛する人へ、まず福音を述べ伝えていく私とみなさんになることをイエス・キリストの御名によって祝福します。