ハレルヤ!
この時間、私の信仰の告白が神さまに完全にささげられることを願います。
5月の末、私の家庭に落とされた祝福の爆弾について証ししたことがありました。
その後、毎週一回の礼拝と二回の祈り会をささげることになりました。
実は「爆弾」と言われ、恐い思いでしたが、
祝福の爆弾だということで、内心、期待感をもって礼拝を始めました。
ところが、礼拝の日が重ねるにつれ、わかってきたことがありました。
それはこの機会を通して
私の信仰の基礎工事をしたいという主の御心でした。
どうやら、私一人の力ではできないことを知っていた神さまが
強い信仰の勇士たちと共に信仰の基礎工事を整えるためであることがわかってきたのです。
私たちを生かすための神さまの働きであることを悟ったのです。
それを悟ってから、少しでも目に見える祝福を眺めていた自分の姿を悔い改めました。
そして、これからはこれ以上揺れることなく、
固く信仰の岩の上に立とうという希望がわいてきました。
自分をもっときよめ、さらにきよくするようにという主の思いが注がれ、
私は初心をもって、礼拝に臨みました。
毎週、語られる御言葉を聞いて、
私は自分の愚かさ、邪悪な姿を悟るようになりました。
時には恥ずかしかったし、時には痛かったです。
ですが、毎週神さまの御言葉がわかってくるという恵みに本当に感謝しました。
そして、これからは本当に愚かで弱い者ではなく、
主にあって強くて、神さまを一番愛する者になりたいという希望もわいてきました。
このように礼拝が捧げられているうち、恵みも頂き、感謝していたので、私はうまくやっていると思いました。
ところが、神さまの御心は違ったのです。
私の心を探り知る神さまは私が全き心で礼拝をささげていないということを示してきたのです。
最初はよく理解できませんでした。
゛今まで一度も苦しいと不平不満をつぶやいたこともなかったし…
本当に今度こそ、最後まで神さまに喜ばれる礼拝にしたいと、どれくらい、
切に願ったことか… 、
どこが間違っていたんだろう。″
しかし、すぐにわかったのです。
今度こそは最後まできちんとやってみたいという欲で、
目に見える自分の姿を整え、心を引き締めて臨んでいたものの、
礼拝の本質である御言葉に対しては、注意を払わっていなかったことに気付いたのです。
毎回、語られる御言葉にもっと砕かれ、低くなって祈り求めなかったこともわかりました。
わずかに受けた恵みに留まり、
自分を完全に変えようと、もがいてなかったことを悟ったのです。
後になって、自分のあやまちに気付いた時には、
すべての礼拝と祈り会を終えるようにと遅かったのです。
そう言われた時、ドキンと胸にショックを受けたのです。
まるで、必死につかんでいた命のロープがぽつりと切れたような思いでした。
神さまにあまりにも申し訳なかったし、今までとりなし祈りをして下さった聖徒、皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そして、とうとうこう思いました。
“あ~私って見込みがないかも…”
このように、絶望的な心で祈っていたら、神さまはイエス様の血潮を見せて下さいました。
一滴、一滴落ちてくる主の血潮を私が小さな漏斗のような形の器に受けている姿でした。
イエスさまの血潮、その一滴一滴が本当に私の命のように思いました。
私は、立ち上がり神さまに叫びました。
゛主よ、私の信仰の無さをお赦し下さい。
主よ、私には他の道はありません。私には帰っていく道などはありません。
ただイエスさまと共に歩む十字架の道しかありません。
最後まで私と共にしてください。゛
最後の礼拝の時に 朴牧師先生はエレミヤ書29章12-13節の御言葉を語って下さいました。
「あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」
これからは、本当に私がしなければならないことは、
過ぎ去ったことを思いめぐらしながら、後悔して 座り込んでいるのではなく、
一番低い者の姿で主の御前にひれ伏し、
心をつくして主を捜し求めることであることを信じます!
完全に作り変えられるために、もがいていくことを 主イエス・キリストの御名によって宣言します。
私の命であり、希望である主と/最後まで/ともに歩む/私になることを主イエス・キリストの御名によって宣言します。
今回の礼拝と祈り会によって、神さまの愛と恵みを教えられたことを感謝します。
一緒にとりなし祈りをして下さったすべての方々を通して犠牲と仕える姿を学ばせて下さって感謝します。
主にすべてを感謝し、栄光を返します。
この時間、イエスさまを/私の命より/もっと愛する/私になることを主イエス・キリストの御名によって宣言します。
主を愛するがゆえに/最後まで/主とともに/歩んでいく私と皆さんになることを主イエス・キリストの御名によって祝福します。