ハレルヤ。
ある日、クリスチャンラジオ番組からこの御言葉が流れてきました。
ヨハネの福音書6章の、5つのパンと2匹の魚を通して示されたイエスさまの奇蹟です。
みなさんよくご存知かもしれませんがもう一度、一緒にこの御言葉を読んでみましょう。
ヨハネ6:5−13
イエスは目を上げて、大勢の人の群れがご自分の方に来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」もっともイエスは、ピリポを試してこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。ピリポはイエスに応えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません」
弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。「ここに少年が大麦のパンを五つと小さな魚を二匹持っています。しかし、こんな大勢の人々では、それが何になりましょう」イエスは言われた。
「人々を座らせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちは座った。その数はおよそ五千人であった。そこで、イエスはパンを取り、感謝を捧げてから、座っている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
そして彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つも無駄に捨てないように集めなさい」彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出てきたパン切れを人々が食べた上、なおも余ったもので十二のかごがいっぱいになった。
ラジオで御言葉を語る牧師は自分の体験をこのように語っていました。
「牧師にとって、主日の説教を用意することは簡単ではありません。
時には前日の夜にやっと準備ができることもあります。
そして完成した主日メッセージを読み返してこう思います。
『ああ、なんてちっぽけな貧しいメッセージだろう。』
自分の力の不足を思い、ため息をつくのです。
ただですね、恥ずかしいんですが、書き終えたあと、私は一人牧師室で誰にも見せたことの無い儀式めいたことをするんです。
そこでちっぽけな原稿を掲げてこう言います。
『神様、神様から頂いた御言葉をメッセージとして精一杯準備しました。
私の力ではこれが精一杯の原稿です。
とてもちっぽけな貧しいものかもしれません。
しかし主よ、あなたの力でこれを豊かな実りあるものと作り変えて下さい。』
そうして祈り、捧げた原稿はもう私のものではありません。
神様に捧げ作り替えられた、素晴らしい奇蹟のメッセージとなることを信じるのです。」
この先生にとって、準備された原稿はまさに5つのパンと2匹の魚であるといいます。
私は「そうか!そういうことか!」と思いました。
このようにこの講壇で語ることを許された私たちの宣言、証、祈り。
いつも私たちは、ベストを尽くしたものを神様に捧げようとしています。
しかし、他人の説教を聞いて素晴らしいなあ!と思うと、それに比べて自分の語る説教はこれでいいだろうか、と考えることがあります。
うまく原稿が書けなかったり、潔く宣言ができなかったりして、講壇で語るのをためらう時があります。
でも主は常に私たちを試しておられるのです。
この聖書箇所でピリポを試したようにです。
イエス様は私たちに聞いています。
「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」
このとき、私たちはアンデレのように、一歩進み出て行かねばならないのです。「ここに少年が大麦のパンを5つと小さな魚を二匹もっています」というようにです。
みなさん、勇気が沸いてきませんか?
私たちが献金を捧げるとき、とてもちっぽけな金額かもしれません。
でもアンデレのように捧げたとき、神様は祝福して下さるでしょう。
賛美を捧げる時、人に聞かせるには恥ずかしい歌声になるかもしれません。
でもアンデレのように捧げたとき、神様は喜んで受け取って下さるでしょう。
自分のようなものが講壇で語るなんてとんでもないと思うかもしれません。
きっと神様だってそう思っているでしょう。
でも神様は器の大きな方です。
それを神様が許されたならば、こんな祝福はありません。
未熟な文章力だろうが、通訳の高度な技術なかろうが、神様はあなたがどう出てくるかを試しているのです。
ピリポになるか、アンデレになるか、なのです。
これは何も教会の奉仕だけに限ることではなく、私たちの職場や家庭でも同じです。
飲むにも食べるにも主の栄光のためにするならば、常に同じ心でアタックするのです。
それが主に頼り、主に委ねることではないでしょうか。
だから自信が無いなあと思ったとき、
難しいなあと思ったとき、
力が出ないなあと思ったとき、
休んでしまいたいなあと思ったとき、
こう呟きましょう。
「5つのパン、2匹の魚」
そしてちっぽけなこれらを持って、イエス様の前に出て行く私とみなさんになりましょう。
このことを、大きな懐の持ち主であるイエス・キリストの御名によって祝福します。