この証が神様の喜びとなることを願います。
皆さんは一日中、どれぐらい空を見上げますか?
私はできるだけ毎日空を見上げようと努力しています。
しかし、家に帰ってきて考えてみると大体毎日を、目の前だけを見つめていたような気がします。
空を見あげながら心にゆとりを持ち
また自然に対して神様に感謝する心を感じようとしたのですが、なかなかできないのが、私の生活習慣であります。
ある日電車に乗ってなにげなく空を見上げたことがありました。
いつも考えていた部分があって、「そうさ、今日は心を決めて空を見上げよう」と思っていたのですが、
その日は、あいにく雨の日だったので、雨雲に覆われていた空を見上げたことになりました。
イスラエル民がエジプトから出て荒野生活をするときに彼らは昼には雲の柱と夜には火の柱が彼らを導きました。
彼らは毎日毎日を、空を見上げて、神様の導きに全面的に頼らなければならない生活でありました。
4月の一ヶ月間は私にとってとても苦しい一カ月でした。
3月に期待していた結果が思ったどおりにいかなっかたので、4月に入ってから多くの部分に対して否定的に考えたり精神的に苦しんだ一カ月でした。
私の仕事は、特に結果を出すまでは、短くて三カ月から1年以上、 手を込んで進めなければならないアイテムです。
失敗したある一つの結果が出た場合は、少なくとも三カ月が延長されてしまいますそれで、資金面で圧迫を受けていた時期でありました。
朝、目を覚めて夜寝床につくまで仕事に関することで頭がいっぱいになって、毎日毎日楽しみのない日々でした。
また事業に対して懐疑を抱き、ビジョンを失い、知らずに不平不満をこぼすようになっていきました。
ある日、出エジプトを読んでいる中、イスラエル民たちのことを考えました。
彼らは苦しい奴隷生活から自由にされ、また多くの奇跡をみました。
また荒野で生活していたので日々を神様から与えられたマンナに頼り、生活をせざるを得ませんでした。
そのように全面的に神様に頼っていた彼らの心に不平や不満が溜まってきたときに、第一世代は神様から与えられた約束の地に入ることができずに、苦しい荒野での生活の中、人生を終えるようになりました。
ふっと今自分の心が不平や不満でいっぱいであったイスラエルの民と変わらないことにきづきました。
そして、4月に21日間、期限を決めての祈りを捧げようと心に決めて、1週間目は悔い改めの祈りをしました。
多くの事に不平不満をつぶやいた自分の姿を悔い改め、
神様にすべてをゆだねきれず、不安がり、イライラしていた姿を悔い改めました。
祈る最中は平安な心を持つことができましたが、祈りを終えて帰ってはまたいつも悩み心配する自分の姿を見ました。
完全に神様を頼ると言いながらも、できずにいたので、同じ過ちを繰り返す日々となっていました。
それほど神様にすべて頼れずに、現実を見つめる目がもっと大きかったので心に平安を持つことができなかったのです。
そのようにすべてを神様に頼れずにいるなかでも神様は私を憐れんでくださったのか
祈っている毎日は神様の働きを見させてくださいました。
しかし神様の働きをみながらも私は不安な心を振り捨てることはできませんでした。
今週はこのように導いてくださったが、来週はまたどうしよう、また再来週はどうしようか
と現実心にとめている自分自身を完全に委ねられなかったのです。
期限の決めてのお祈りが終わり、4月の一ヶ月間を振り返ってみました。
すばらしい主の働きがありました。
私はあんなに不安がって心配していたこととは違って、そこに神様の働きを見出すことができました。
目先に大きなことがなかったので、不安で心配していたんですが、神様は
小さいことから神様の計画どおりに導いてくださることを知ることができました。
4月が過ぎた今も環境的には大きな変化はありません。
しかし、今は事業を始めた頃、心に抱いていたビジョンと神様が働いてくださった多くの御わざを思い出し、胸がときめく日々を送っています。
完全に神様に委ねずにして、神様に叫び求めたときにも多くのこと成してくださったのに、
完全に神様に委ねて進めば、どのように働いてくださるかと考えるだけで興奮する日々になると思います。
もう平安な心で過ごしたいと思います。
あせたり、心配したりもしません。
神様を信頼し、感謝する心を持って進んでゆきます。
神様の働きを毎日毎日期待しながら進んでゆきます。
神様に絶対に頼り、神様の勝利者となること主イェスの御名で宣言します。
タイトルがなかったため説教した日付をタイトルとして書きこみました。