自分のことを書くのは、ちょっと苦手なんですが・・・ 

金泰遠牧師先生が、載せるようにと言ってくださったので、書くことにしました^^

 

現在私は八王子というところに住んでいます。八王子の中心部からも離れているので、

教会までは、バスと電車を使って片道1時間50分ぐらいかかります。

 

距離的な問題で、神学生であるにもかかわらず、一度も早天礼拝、木曜賛美礼拝に参加したことがありません。

だから私にとっては、主日礼拝と水曜礼拝がとても貴重です。

 

水曜礼拝に出席するときは、リウとバスと電車を使って行きます。

学生のときも、働いていたときも1時間半~2時間かけて通っていたので、

私一人なら全然問題はありません。

でも、リウを連れて行くので、天候とか、電車の中で騒がないかとか、すごく気を使うことがあり、

水曜礼拝に行く前日から、無事に行けるようにいつも集中して祈ります。

礼拝に備えて準備する器、祈りの器、感謝する器が大きいからか、

水曜礼拝に参加するたびに、本当に大きな恵みを神様からいただいています。

 

でもこの2ヶ月ほど、水曜礼拝に行くのが本当に大変でした。

天気が良くても、健康でも、教会との往復するだけで、帰ってきたらとても疲れます。

この2ヶ月ほど、リウが風邪を引いたり、また水曜日のたびに天気が良くありませんでした。

うちは山の上にあるので、雨の日はベビーカーが使えません。

リウも一人で傘をさして、歩くことが出来ないので、雨の日は

12キロあるリウを抱いて、荷物をもって、傘をさして、教会と家の往復をするのが本当に辛かったです。

ある日は、家まで帰ってくるのに3時間もかかった時がありました。

 

神様!教会に行きたいって願っているのに、どうして教会に行くこと自体が、私には試練となるのですか!

神様、もうしんどくて、一歩も歩けません。

 

教会の帰り道、リウを抱きながら、傘で顔を隠しながら、何度泣いたか分かりません。

 

体が疲れて苦しいこともあったけど、それよりも、くやしい思いがあって、もっと泣きました。

礼拝に参加したら、神様からの恵みがもらえるのに、命の御言葉がもらえるのに、

家が遠いというだけの理由で、私は恵みを受けそこなってる! みんなより損をしてる!

そう思って、すごくくやしかったです。

 

だからこの2ヶ月ほど、水曜礼拝に参加するたびに、祈りながら涙が止まりませんでした。

 

11月15日の収穫感謝礼拝の時のメッセージは、「感謝することは神様が望まれていることです」という題目でした。

そのときは悟ることが出来ませんでした。

数日後、「恵みと宣言」の要約をするために、もう一度メッセージを聞いたときです。

メッセージの中で、「感謝することは、あらゆる環境に打ち勝ち、勝利します」とありました。

 

私には、感謝の心が足りなかったことを悟らせてもらいました。

いつも不満しか口から出ていなかった。口にしなくても、心にいつも不満があったことに気づかされました。

私がどれだけ恵まれた環境にいるのか。それを神様が教えてくださいました。

 

生活の中のすべてに感謝する心が足りなかったですが、教会に来ることに対しても、感謝の心がなかったことに気づきました。

 

また他の聖徒さんと比べて、私は損をしている、と思っていましたが、

神様が私をこの環境においてくださり、そこから神様の御心を悟るように計画してくださっていることがあることに気づくことができました。

他の神学生よりも、色んな面で足りてない、と焦りがありましたが、

今与えられていることを、もっとちゃんとやるべきではないか、とも教えてくださいました。

 

教会に行くために、沢山祈る環境を与えてくださった神様に、感謝します。

教会に行けるということが、どれほど恵みであることかを教えてくださった神様に、感謝します。

今日も御言葉が与えられる、という期待感をもたせてくださり、感謝します。

家から徒歩ではなく、バスや電車を使えるようにしてくださり、感謝します。

子供を与えてくださり、一緒に礼拝に行けることを、感謝します。

山道を登るために、細い足じゃなくて、太くて丈夫な足を与えてくださり、感謝します。

 

感謝できる条件はいっぱい、本当にいっぱいありました。それに私が気がつかず、メッセージにもあったとおり、

花ではなく、その周りにある雑草に心がとらわれて、不満の心でいっぱいになっていました。

 

感謝を教えてくださった、神様に感謝します。

これからも感謝できる条件に目をとめて、いつも感謝する者となることを、イエス様の御名によって宣言します。アーメン!!