ソク ソンジュ兄弟と2人で導き合いながら、家庭礼拝を捧げました。

 

ビザの問題で、韓国と日本と行ったり来たする前は、必ず家庭礼拝を捧げていたことを覚えています。

何があっても礼拝を捧げて、ケンカをしていてもその日のうちに礼拝を捧げるべきかな、という心で、

捧げたときもありました。

この一年ほどは、ビザの問題によって、

ソンジュ兄弟と私が短ければ一週間、長くても10日ぐらいの差で

韓国と日本を行ったり来たりしなければならなったので、ほとんど家庭礼拝を捧げることができませんでした。

しかしそのときに捧げた礼拝とは、また違った恵みをくださり、感謝と感動が大きい家庭礼拝になりました。

士師記5,6章の御言葉を、代わる代わる読んで、得た恵みを分かち合うなかで、特に沢山の恵みがありました。

聖書勉強とも同じ時間でしたが、御言葉を知っていくことにが喜びです。

ギデオンとデボラについて分かち合う中で、私のうちにある弱い部分を見せてくだいました。

何より、互いの目に見えない部分、鈍感で感じることが出来なかった問題について、

御言葉を分かち合ううちに、それがあらわれてきて、それを解決することができました。

家庭礼拝を捧げながら、そのことを悟るようにしてくださらなかったとしたら、

たぶん、そんな問題が二人の間にあること自体も知らず、一生を過ごしていたかもしれないと思う

そのような問題をあらわしてくださいました。

それが最近私の祈り課題のうちの一つと関連しているものであり、またその祈りに対しての応えだということが

わかりました。

ビックリしたし、また感謝しました。

いつも私の家庭の主人だということを認めて、仕える心をもって家庭礼拝を捧げたいです。

神様に栄光を捧げます。