今週は教会で家庭礼拝を捧げました。

神様の家に私たち二人を呼んでくださって感謝しました。

御言葉には、娘を助けてほしいという男と、長血を患った女性のことがありました。

この二人はイエス様に対して本当に必死な思いで助けを請うていました。

イエス様のお着物に触れれば治る!

娘を生き返らせてくれる!

この大胆な考えを私たちは持てるのか?

 

私には必死さがなかったのです。

困難がやってきたときにそれを直面するのが怖くて、

「まだ大丈夫、なんとかなるさ」と。

心が痛いと思っても、

「気にしない、大したことない」と。

弱くなりすぎてしまう自分が嫌で前向きでいようと自分を騙すことで、

同時に神様にも縋らない、十分に祈ることができなくなってる。

本当に必死ではなかったのです。

 

聖書のこの二人の人は私にそれを教えてくれました。

私の心の砕かれないことよ・・・

神様ごめんなさいと言いました。

 

最近よく思うことは、

神様を知っている人は強い。

でも今までは傷とも思わなかった日常のいろいろなことに敏感になって傷を受ける。

私はそれに弱いということ。

心が柔らかくなればなるほど日常でのちょっとした刃が心に刺さります。

みんなはこういうことをもう何回も経てきているんだろうな・・・

自分はまだまだ・・・

 

神様が与えてくださる試練に感謝したいです。

主の御名によってお祈りします。

 

アーメン。