2014年4月14日 日本語(キム・ジュリ神学生)信仰は従順することです!
従順することが難しいというときにはいつもアブラハムの信仰の姿を思い出します。
アブラハムの生き方は私に勇気と希望を下さり、期待が沸いてくるのです。
でも従順という道を選んだその時までの葛藤は想像以上だったと思うのです。
霊的カナンの地に必ず入るために従順していく私になることをイエス様の御名により宣言します。
2014年4月14日 日本語(キム・ジュリ神学生)信仰は従順することです!
従順することが難しいというときにはいつもアブラハムの信仰の姿を思い出します。
アブラハムの生き方は私に勇気と希望を下さり、期待が沸いてくるのです。
でも従順という道を選んだその時までの葛藤は想像以上だったと思うのです。
霊的カナンの地に必ず入るために従順していく私になることをイエス様の御名により宣言します。
【日本語訳】
ハレルヤ
ヘブル人への手紙11章8節の御言葉です。
アブラハムは、信仰によって、相続財産として受け継ぐべき地に出て行けとの召しを受けたとき、
これに従い、どこに行くのかを知らないで出て行きました。
信仰の先祖アブラハムは神様から召されて、
国、親族、父の家を離れてカナンの地に行きなさいと言われました。
その時、アブラハムは行く先を知りませんでしたが、
信仰によって神様の御言葉に聞き従い、進み行きました。
この御言葉を黙想しながら、今の私たちもアブラハムと同じようであると思いました。
目に見える何かを捨てて、どこか実際に旅に出ることはありませんが、
私たちの中にある自我、欲、この世の利益を捨てて、
霊的カナン、天国に向かっていく姿がまさにそうです。
ところが、目的地は明らかにあるのですが、その行く道が容易ではないと思います。
目の前が真っ暗でどこへ行くのか道が見えない時もあり、
イバラの道をあゆむように痛くて、苦しい時もあります。
また、神様の御声が聞こえない時もあります。
行く先を知らなかったアブラハムも確かに恐れていたでしょう。
いろんな葛藤もあったと思います。
しかし、神様の御言葉に信仰をもって従って行ったときに、
アブラハムは信仰の先祖として神様に認められた者になりました。
このように信仰とは、恐れ葛藤しながらでも、
それと戦いながら神様の御言葉に従うことであることを信じます。
私たちに100パーセントの確信があるから従うのではなく、
たとえ1パーセントの確信しかなくても、
それが神様の御言葉だとしたら、その神様の御言葉を握って従うことが
神様が望んでおられる信仰の姿であることを信じます。
神様の御前に従順する完全な信仰の姿で、
神様に認められる信仰の姿で、進みゆく私になることをイエス様の御名で宣言します。
また、そのような私たちになるようにイエス様の御名で祝福します。