2014年 8月1日 日本語(キム・ジュリ神学生)じっとしていると現状維持もできません!
イエス様を信じ受け入れたら、なぜ毎週教会に行く必要があるのかという答えがここにあるように思います。
私たちはそもそも罪の性質を持っていて、じっとしていれば地獄に行くというエスカレーターに乗っているということを軽く考えてはならないのです。
だからパウロのようにますます熱心になることが大事なんだと改めて確認しました。
そのような私になることをイエス様の御名により宣言します。
神様を深く知り,信仰生活固くなる私になることをイエス様のみなによって宣言します。
信仰は飛行機の運転と同じで、途中でエンジンをとめて休むことができません。ちょっと休もうとすると霊的にダウンしてしまいます。人間的な考えでは休むことが正しくても、信仰によって一歩進み、主を体験する私となることをイエス様の御名によって宣言します。
私は日常生活の中でも、いつも心を主に向けるように心がけていました。
信仰によって生きようとしても、必ず、環境が戻そうとするとき
以前の私は、しがみついてでも、頑張っていた自分がいました。
ある日、私が主を知ることを自然体で、心の慕うように主を知るならば
頑張らなくていいことを知りました。頑張らなくても主に心が捉えられて、聖霊様に引っ張られていく
自分に気が付きました。そして主の喜ぶことを自然と選択していました。ですから、私は主を知ることを大切にしていきます。
そのような私になることをイエス様の御名によって宣言します。
信仰生活の中で、じっとしていないで、主のみ言葉を求めます。
それでもっと前に進んでいく私になるよう、イエス様のみなで宣言します。
【日本語訳】
ハレルヤ !
「じっとしていれば、現状維持はできる」という言葉が韓国にはあります。
この言葉は正しいでしょうか?間違っているでしょうか?
世の中で見たときは、正しいかもしれません。
確かに、よく知らないのに知ったかぶりをして、
困り果てる時にはじっとしている方が良いでしょう。
しかし、私たちの信仰生活においては間違っていると思います。
神様についてよく知らないのにもかかわらず、
神様を知っていこうと努力せずにとどまっている姿は、私たちを永遠の死に導くからです。
もともと私たちは罪深い本質を持っているので、信仰によって生きるより、
自分が楽なように生きることを望んでいます。
だから信仰により生きる為にもがかなければ、私たちは肉体の欲に従って生きるしかありません。
一度神様の存在を深く経験したとしても、また信仰が深かったとしても、
現状に満足して留まってしまうと、神様との関係を保つことは難しいでしょう。
聖書では、「私たちは神様を知るべきだ」と言っています。
「神様とイエスキリストを知ることが永遠の命を得る道です」と語られています。
私たちが神様をさらに経験して知れば知るほど、
私たちの信仰はさらに深まり、固くなっていくからです。
神様を知るための努力を絶やさない私たちになることを願います。
また、そのような私になることをイエス様の御名によって宣言します。
神様を知るために励む中で、神様を深く知り、
また私たちの信仰もより固くなることを、イエス様の御名で祝福します。